ただ、僕の感覚では9割くらいの人が息子を擁護してくださったと感じます。批判する人のほとんどが番組を見ず、言葉だけを知って叩いているようでした。最初に息子を叩いた方からは、のちにSNSを介して謝罪があったと妻から聞きました。
息子は周りから聞かされ、騒ぎになっていることに気づいたようです。でも、私たちは「全然大丈夫だよ」と伝えました。騒ぎになったと言っても1週間くらいのことで、すぐに平穏な日常が戻ってきました。
娘のリクエストに応えて、髪を青に染めたこともありました。息子も娘もBTSにハマっていて、「ジョングクの髪の色にして」と言われたのです。幸い職場は髪色が自由だったので、真っ青に染めてみました。家族からは好評で、自分としても楽しめたのでよかったです。ただ、その後にイベントでお会いした上田剛史さん(元ヤクルト) からは「DJ社長かと思ったわ」と言われましたが……。
「いずれ指導者のオファーが来て、抜けることも承知しているから」と言われていました
工場の仕事にすっかり慣れた頃、一岡竜司(元広島)から電話が来ました。一岡はドラフト同期として巨人に入団した仲でした。彼が卒業した専門学校・沖データコンピュータ教育学院の理事長が、僕と話したいと言っているとのこと。お会いすると、コーチとしてのオファーをいただきました。
また野球に携われる喜びが沸き上がると同時に、工場長の顔が浮かびました。採用時に工場長からは「いずれ指導者のオファーが来て、抜けることも承知しているから」と言われていました。でも、1年足らずで退社することは申し訳ない。そこで、「すぐには行けないので、仕事の引き継ぎをさせてください」とお願いしました。
理解のある工場長のおかげで退社が決まり、その後は「僕以上の仕事ができるように」と引き継ぎに全力を注ぎました。2022年5月16日から沖データにお世話になり、野球部の指導に携わっています。工場長とはその後も食事に行かせてもらうなど、いいお付き合いをさせてもらっています。
巨人に在籍していた頃、僕はヒーローインタビューでこんなことを言った記憶があります。
「僕は縁の下の力持ちになれれば、それでいいです」
選手ではなくなった今も、その思いは変わりません。朝早くに自宅を出る時、家族の幸せそうな寝顔をこっそり見る。それだけで僕は満足です。
レストランでは遠慮なく好きなものを食べて、「おいしい」と言ってくれたらそれでいい。家族が笑顔なら、僕はサラダだけでもいいんです。
巨人をクビになってわかったこと。それは僕が野球を愛していることでした。そして、もうひとつ。これは前々からわかっていたことですが、僕はやっぱり心の底から家族を愛しているのです。