物議を醸した息子の「最低広島」発言

 本来の僕は、極度の人見知りでした。

 巨人に入団してはじめの頃は、ファンの方々とどう接していいかわかりませんでした。「サインください」と言われても、ほとんど断っていたので気分を害した方もいたと思います。当時は「本当に俺のサインがほしいわけがない。気を遣って言っているのだろう」と思っていました。ファンと目を合わせようともせず、なかば無視するように去っていく。当時のファンの方々には申し訳ありませんが、僕自身どうしていいかわからなかったのです。

 そんな僕を叱ってくれたのが、妻でした。

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「ファンの方がいるから、野球選手はご飯を食べられるんやろ。そういうことをちゃんとしないとダメよ」

 妻からそう言われてハッとしました。それ以来、よほどのことがない限りサインを求められたら「僕なんかでよければ」と書かせてもらうようになりました。プロ野球選手時代と比べて大幅に収入が減っても生活できたのは、やりくり上手の妻の手腕でもあります。

 妻と結婚できたおかげで、もうひとつ成長できたと感じることがあります。

 僕の息子は妻の連れ子で、血のつながりはありません。でも、当時2歳だった息子と初めて会った日、僕は今までにない不思議な感覚に包まれました。

 隣に座った息子にご飯を食べさせ、一緒に風呂に入り、添い寝する。彼と1日を過ごすなかで、確信めいたものがありました。

 あぁ、この子は俺の子だな。

 初めてのはずなのに、初めての気がしない。息子も僕のことを「パパ」と呼んでくれて、何の疑いもなくやっていける自信がありました。

 息子が球場やテレビの前で「パパ~!」と応援している動画を妻がよく送ってくれました。プロの世界で戦ううえで、息子の応援は何よりも大きな力になりました。

田原誠次 ©文藝春秋

 その後、妻との間に娘ができましたが、息子と娘への感情は変わりません。ふたりともかわいい僕の子どもです。

 僕が戦力外通告を受けた時期、テレビのドキュメンタリー番組で僕たちの家族が取り上げられました。息子が言った「ソフトバンク行けんかったら、最低広島に行きたい」という言葉がネット上で切り取られ、物議を醸しました。

 でも、息子の発言の元をたどると、そもそも僕が言っていたことなのです。その時点で、生活拠点を妻の実家がある北九州に移すことが確定していました。運よくプロ球団に拾ってもらえたら、単身赴任になるかもしれない。となると、できればすぐに家に帰れるようなソフトバンクや広島に獲ってもらえたらうれしいなと。

 そうした僕の願望が前提としてあり、小学生の乱暴な言葉選びも相まって不用意な発言になってしまいました。