当時の鉄道では到底考えられないような急勾配

 実のところ、「峠越え」などと言われてもピンとこない。登山を趣味にしているわけでもないし、九十九折りの峠をクルマやバイクで攻める趣向もない。もちろん日本は山だらけだから、旅をすればどこかしらで峠を越えねばならぬ。

 ただ、だいたいが新幹線に乗って寝ているうちにトンネルで抜けてしまうから、峠越えを意識することはまずないといっていい。せいぜい、「ちょっと耳がツンとするなあ」と思うくらいだ。

 

 かつては難所の中の難所とされた碓氷峠とて同じこと。北陸新幹線は、実際の碓氷峠よりもだいぶ北側をトンネルで駆け抜ける。

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 トンネルを抜ければすぐに軽井沢駅に到着するから、降りる支度をしているうちに峠越え。だからやっぱり、峠越えを意識することはないのだ。

 

 だが、新幹線がまだなかった頃には、艱難辛苦の思いで碓氷峠を越えていた。信越本線横川~軽井沢間、通称“横軽”がそれだ。江戸時代には中山道が通り、参勤交代では多くの大名が盛んに行き交った大動脈。

 幕末には、14代将軍徳川家茂に嫁いだ皇女・和宮も碓氷峠を越えて江戸に下った。あまりの険しい道のりに、和宮のために少し勾配の緩やかな新道を切り拓いたという話まで伝わっている。

 

 明治に入るとさすがに江戸時代までの山道獣道の中山道は廃されて国道が整備され、そして1893年には鉄道も開通した。

 その時代に新幹線のような高速鉄道もなければ、長いトンネルを掘る技術もない。だから、66.7‰という当時の鉄道ではとうてい考えられないような急勾配を登ることになった。

 もちろん、当時の蒸気機関車がそんな急勾配に耐えられるはずがない。