江戸時代までは“マラソン会場”だった?
せっかくなので登ってみると、国道の脇に山の中へと続いてゆく山道というか獣道がある。
これが、江戸時代まで東西の大動脈だった中山道。少しだけ入ってみたが、確かに細く険しい山道が続いている。こんなところを、江戸時代の人たちは当たり前のように行ったり来たりしていたというのか。
それどころか、幕末の1855年には、安中藩の藩士たちが安中城から碓氷峠の熊野神社まで走るマラソン大会、“安政遠足”を開催していたという。鉄道もクルマもないご時世。時代が違うといえばそれまでなのだが、昔の人の健脚ぶりたるや、新幹線で寝てばかりいる現代人とは比較にもならない。
ともあれ、この最後のトンネルを抜ければ、「峠の湯」という温浴施設の脇を通り、霧積川の脇をまっすぐに横川駅を目指すだけ。南側には中山道の坂本宿の町並みがいまにも残る。
江戸時代、峠越えを控えた人たちがここで一服。どんな気持ちで峠に挑んだのだろうか。
シェルパくんと並走しながら横川駅へ
なお、この「峠の湯」までは、廃線跡のアプトの道のすぐ脇に現役の線路が敷かれている。かつての横川機関区跡に設けられた碓氷峠鉄道文化むらのぶんかむら駅からとうげのゆ駅まで、トロッコ列車「シェルパくん」が運転されているのだ。いわば、鉄道文化むらのアトラクション。
「シェルパくん」が走るその距離は2.6km。廃線跡を歩いてゆけば、横川駅まで4km近くも続く道のりだ。途中には、旧線が電化された1912年に建設された丸山変電所の建物がそのまま残っていて、見どころもあるにはある。
が、トンネルをいくつも抜けていたそれまでとはうってかわって、比較的退屈な散歩道。そこを1時間ほど歩いて、ようやく横川駅が見えてくる。



