1951(昭和26)年、女学校時代の友人の母の紹介で面接に行った鉄道弘済会に採用され、庭瀬駅の売店の売り子となった。以降、本が売れるまでの17年間勤めることとなる。またこの年、徳島の「近代詩人」の同人となり、自殺の詩などを投稿し始めた。編集長は「諸君。脱帽せよ。天才が現れた」と書いた。
自分勝手な文学青年に弄ばれる
庭瀬駅の駅員の吉田は両親とも大学出のインテリ、文学好きの美青年で、玲子はすっかり惚れ込んだ。ある夜、二人で玲子の家の近くの田んぼを通りかかったとき突然押し倒された。声をあげようと思ったが家が近かったためできなかった。玲子19歳、それが初体験だった。後から聞けば、女性の家の近所の草むらで強姦するのが吉田のやり方だった。翌日、吉田は「処女をやったら俺は捨てる主義だ」と言い、美しい女性を指して「俺は明日あいつと見合いする」と言った。ショックを受ける玲子に、文学をやっているくせに普通の女と一緒だな、と追い打ちをかけた。
またあるとき、当時玲子と親しかった加代という少女の家に、玲子、吉田、そしてもう一人の男の四人で集まっていた。すると吉田が、自分は加代と関係を持つから、玲子はもう一人の男と関係を持ち、その後で交代しようと言い出した。吉田と加代が絡み合う様子を目の当たりにした玲子は、思わず泣き出し、そのまま家へ帰った。この頃のことを玲子は後に「生涯を通じての生き地獄の日々」と書いた。
思い詰めて男を殺そうとするが…
泥酔した夜のことだった。吉田と玲子は線路脇の細い道を歩いていた。貨物列車が通りかかったその瞬間、玲子は吉田を線路へ突き飛ばし、全身で押さえつけた。
「何をするんだ」「殺すのさ」。強姦したのはいい。結婚してくれなくてもいい。だが、俺の奥さんになる人は、美しくて利口で血統がよくて……馬鹿にするな、私でも女だぞ。心があるんだぞ、と玲子は思った。「お前の子を他の女に生ますものか。天才の私のように一代で死ね」。だが、「悪かった。助けてくれ」と命乞いをする吉田の醜さを見て、急に馬鹿馬鹿しくなった。玲子が身を離すと、吉田は這いつくばるようにして逃げ去った。