スケバン「流れ星のお玲」を名乗る

玲子は次第に荒れた。鞄の中にはメリケンサック、ポケットには自転車のチェーンを入れていた。「流れ星のお玲」を名乗り、通りすがりに牛乳屋から「なんぼ赤い服きてもおえる(貰い手もない)もんか」という陰口が聞こえると、チェーンを振り回して店に並んだ牛乳瓶を割った。「人を馬鹿にするな。花嫁御寮がなんだ」。チェーンを手に撒き直して振り返ると黒山の人だかりだった。「俗物。のきゃあがれ」と言うとさっと開いた道を歩いた。いつか小説家になってみんなを土下座させてやると思った。

流れ星のお玲の名は知れ渡り、不良少年たちに目をつけられたり、パンパン同士の揉め事に駆り出されたりすることもあった。でも根は純情な少女だった。タケというヤクザに淡い恋もした。でも彼にはドイツ駐在の某大使の娘という恋人がいた。この恋はプラトニックな美しい思い出となった。

1946(昭和21)年3月に女学校を卒業した玲子は金を稼がなくてはならなくなった。母は美人の姉には男に注意しろと言うくせに玲子には何も言わないので、試しに駅前に立ってみた。優しそうな紳士が同情して金だけくれた。

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女学校を出たが、まともな職がない

友人、知人の紹介で就職しようとしたがどれも失敗に終わった。いっそ顔を火傷したら働けとも言われず、思う存分文学に勤しめるのではと油を煮立たせていたら、天ぷらを盗み食いしようとしたと勘違いした母に殴られた。本屋で働こうとしても断られ、そのことで母に馬鹿にされた。玲子は初めて母につかみかかり「まともな家に生んで、文句をいいやがれ」という言葉が喉元まで出たが、それだけは言えなかった。すでに体力では明らかに玲子に分があった。以来、両親はあまり殴らなくなった。

1946(昭和21)年6月、職業安定所で紹介された自動車組合の事務員になった。理事長、会計、玲子の3人だけの小さな会社で、自動車用の鉄板やカーバイトを工場に配給するのが業務だった。理事長は戦時中は思想犯を取り締まっていた特高あがりとかで、陰湿な嫌がらせをした。5年間勤めたが、結局パワハラで辞めた。