九州の戦国武将が発症した記録

 悲劇は山梨だけにとどまらなかった。

 九州最大の河川、筑後川。その豊かな水の恵みを受ける沿岸部もまた、同じ症状に苦しむ流行地だった。

 筑後川のぐにゃりと蛇行する流れに北と西を守られた久留米城。その城主であった毛利秀包の最期が、一つの手がかりを残している。

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 秀包は名将・小早川隆景の弟であり、智勇兼備の武将として知られていた。しかし、関ヶ原の戦いで西軍に属した彼は、敗北の末に領地を追われ、実家のある長州で隠棲生活を送ることとなる。

久留米城跡

 慶長6(1601)年、秀包は34歳で病没。その死因として記録されているのが、またしても「脹満」である。

 筑後川の沿岸部では、後世まで同様の症状が蔓延していた。秀包がかつて統治した久留米の地でその病を得たのか、あるいは隠棲先で発症したのかは定かではない。筑後地方については古い記録に乏しく、異なる原因による「脹満」だった可能性も否定できないのだが。

凄惨な症状を生々しく描写した『片山記』

 江戸後期にこの得体の知れない病について、医学的なメスを入れた人物がいた。広島県片山地方の藤井好直である。

 弘化4(1847)年、地元の医者であった彼は、その観察記録を『片山記』にまとめた。

 同書は、この病の症状を極めて詳細に記した日本最古の医学的文献と言える。その凄惨な症状を生々しく描写した記述(現代語訳)がこちら。

「(前略)近頃春夏の頃、土地の人が田を耕すために水に入ると、足や脛に小さな湿疹ができ我慢できないほど痛く痒いという。

 牛や馬も同様である。多くの人がこれを患った。そして、これを漆のせいだとした。

 また、多くは下痢を患い、顔色が衰えて黄色くなり、ひどく寝汗をかき、痩せ衰え、脈拍は細くなる。まるで肺病のようだ。嘔吐したり血便が出たり下痢をしたりする。

 暫くすると手足は痩せ衰えて腹ばかり腫れてまるで太鼓のようになり、胸には静脈が浮かびヘソは突き出し、甚だしい人は腹の皮が光って鏡のように物を映すようになる。

 そしてついには足が腫れて死んでしまう。

 私はこれが何の病気であるかを知らない。最初は肺病のようであり、終わりは鼓腫である。

 患者は7~8歳から40~50歳に及び、最も軽い者は床に臥すことなく半年または1年で癒える。重い者は壮年の者でも皆死亡する。(後略)」