古来、日本では、腹部だけ大きく膨らんで苦しみながら死んでいくナゾの奇病が発生していた。流行地は山梨県、広島県、福岡県など、全国でもごく一部の地域。

 明治時代に入り、人々の日常を侵食し続けてきたその病の本格的な解明がようやく始まる。(全3回の2回目/つづきを読む

佐賀県鳥栖市の宮入先生学勲碑

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感染経験のある若者は“妙に大人びていた”

 かつて、九州北部を流れる筑後川のほとりに宝満宮という小さなお社があった。一見、どこにでもある村の鎮守様だが、いつの頃からか徴兵除けの神様として崇められるようになった。

筑後川のほとりの宝満宮

 息子を戦地へ送りたくない親たちは藁にも縋る思いで参拝していたかもしれない。ことがことだけに周囲の目を盗んでひそかに参る人が絶えなかったようだ。

 なぜ、人々からそんな風な信仰を集めたのか。それは、この地域の若者たちが徴兵検査にことごとく落ちていたからである。

 実は、子どもの頃にこの病に感染すると、身体の発育が著しく阻害される。身長は伸びず、第二次性徴も訪れない。顔つきだけが妙に大人びているのに、体つきは子どものまま。20歳の男性でも11、12歳くらいに見えたらしい。そんな異様な姿の若者がこの地には多かったのである。

 若者たちはこの病にかかったために徴兵検査に引っかかってしまうのだが、当時の人々は、徴兵除けの神様が護ってくださると考えていたようだ。

近代医学による原因の究明がついに始まる

 山梨県の甲府盆地でも同様の体格不良は深刻な問題となっていた。そして明治14(1881)年、ついに民衆の悲鳴が行政を動かす。流行地の村長らが、「この病の原因を突き止め、対策を講じてほしい」と御指揮願いを県令(当時の県知事にあたる)に提出したのだ。

 時を同じくして、広島県では明治15(1882)年に「片山病調査委員会」が発足。古来、数多の命を奪ってきたナゾの奇病に対し、近代医学による原因の究明がようやく始まった。

 研究の端緒を開いたのは、後に「馬王堆漢墓」の“奇跡のミイラ”こと、軑侯(たいこう)夫人の遺体にも発見された、肉眼では見えないほど小さな卵の発見だった。

 初めて発見されたのは、明治21(1888)年。山梨県で馬島永徳という人物が死体解剖を行い、硬く変容した肝臓の組織内に未知の卵を見つけたことに始まる。

 その後、明治25(1892)年には医学博士・栗本東明が筑後川流域の佐賀県の流行地を調査し、糞便の中から虫の卵を確認。翌年には患者の肝臓や腸壁に同様の卵を発見した。それは、既にこの地域で認められていた寄生虫とは明らかに異なるものだったという。

筑後川

 こうして“新種”の寄生虫の存在が浮かび上がってきた。

 しかし、犯人の姿は依然として霧の中だった。卵は見つかるのに、それを産み落とした主がどこに隠れているのか、誰にも分からなかったのである。