寄生虫には“運び屋”がいる
日本住血吸虫の発見から数年が経ち、明治42(1909)年に医師・川村麟也が山梨県医師会で「山梨病トハ何ゾヤ」と題し、研究報告を行った。
それによると、寄生虫は血管の中で生活しているが、この卵がすぐに孵化して成虫になるわけではない。宿主の糞便から出た日本住血吸虫の卵は人や動物の体内に入る前に、必ず他の動物の体内に寄生する必要があり、この中間宿主が何であるかが問題だという。
つまり、中間宿主を見つけ出してそのルートを断たない限り、水辺で暮らす農民たちが安息できる日は来ないのである。
ここから寄生虫の“運び屋”探しが始まった。
あらゆる動物、あらゆる昆虫が疑われた。医師たちは実験を繰り返したが、答えはなかなか見つからず、成虫の発見からさらに歳月が流れた。
それは褐色の目立たない貝だった
そして大正2(1913)年、九州帝国大学教授の宮入慶之助と助手の鈴木稔は、佐賀県のある村である小巻貝を発見。
それは長さわずか5ミリから1センチほど。どこにでもいる、チョコレート褐色の目立たない貝だった。
研究の結果、この小さな貝こそが、日本住血吸虫を育み、人間や動物へと送り届ける中間宿主であることが証明されたのである。
この発見を記念し、貝には発見者の宮入慶之助の名にちなみ、「ミヤイリガイ」と名付けられた。
こうして紀元前の中国から長きにわたって続く奇病の全容が明らかとなった。
冒頭に紹介した筑後川のほとりの「宝満宮」に祀られ、周辺の人々から篤い信仰を集めていた神様は、日本住血吸虫だったということになる。正体を知っていたら、死を招く寄生虫に手を合わせていただろうか。
ともかく、日本住血吸虫はどのようにしてミヤイリガイに侵入し、そしていかにして人体へと忍び込み、あの“太鼓腹”を引き起こしたのだろうか。
その侵入経路は非常に悪魔的。
彼らは口から入るのではない。ただ水に触れるだけで、私たちの皮膚を突き破ってくるのだ――。(つづく)
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