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皇太子への質問を志願
こうした私の理解と推測は、あながち的外れなものだったとは言えない。「週刊文春」2008(平成20)年2月28日号の関連記事の見出しは「『愛子さまに会えない』天皇が長官に託した皇太子への怒り」だった。長官が天皇と話して了解を得た上で発言したのだろう、というのは、当時の宮内記者会でも多くの記者が感じていたことだったと言える。
長官発言の約1週間後、徳仁皇太子の誕生日の記者会見が行われた。その日程はずっと前から決まっており、羽毛田氏の「苦言」が、皇太子のこの日の「回答」を求めてのことであることは明らかだった。
記者会から皇太子への質問事項は、宮内庁との調整を重ねて協議され、あらかじめ5問程度が提出されている。会見当日のわずか1週間前にわき起こった羽毛田氏の「苦言」に対する回答を聞くのなら、事前提出された質問の後の「関連質問」で聞くしかない。
志願して質問に立った私は、長官発言に対する皇太子の感想を尋ね、さらにこのように質問した。
「長官がご自分の一存だけであの発言をされたとは、私には到底思えないんですが、皇室のご家族の、ご家庭内のことをああした公式の場所で発言せざるを得ない、こういう状況が今の皇室のご家庭の中にあるというこの現状をどのように受け止めていらっしゃるのかお聞かせください」