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“特殊すぎる”皇室の論理
家族内のことすらを「公」と断じて、その考えに応じない者を指弾する。この側近が示した態度の根底には、体面上、天皇と皇族の行いのほとんどすべてを「公」だとする価値観があると思う。
これは第2章、第3章で詳しく見る通り、明仁天皇夫妻が、平成という時代を通して確立してきた「体面を重視する平成的な価値観」の帰結の一つだと言えるだろう。
しかしその「公」の論理の陰に、家族間のいさかいという現実が隠されているのであれば、賞賛される「公」の装いは、みせかけだけのフィクションということにもなろう。
皇室は理想のファミリーだとする「公」のフィクションを守ろうとすれば、現実には存在する家族間の軋轢はなかったものとして隠蔽されるしかない。皇太子としては、なかったとされているものに言及するわけにはいかない。
平成のこの時期、奥歯に物の挟まったような言いように終始していた皇室の出来事のすべては、そうした論理の歯車で動いていたように思える。
