鉄棒で突き回し、最後は頭を銃で一撃…腹を割られ左前足をもがれた“クマの死体”が物語る「人間の恐ろしい欲望」
現代まで続くクマ取引の法的グレーゾーン
そのため事情を知らない市民は本当に【クマの胃袋】をつかまされた例もありそうだ。春グマ狩りで捕ったクマは、まだ採食していないので胆汁は溜まり胆嚢は大きい。四角い板に挟んで囲炉裏の上で風乾する。現代ではクマ科の動物は全種がワシントン条約で国際的な取引が規制されており、クマから取れる胆嚢も同様だ。
一方、国内取引の規定はなく、個人で自家消費する分には問題はないのだが、漢方としての効能をうたって販売した場合は「薬機法」に抵触する可能性がある。最近、ネット上のフリーマーケットに出回って問題になった。
その由来は、現代では有害駆除によるものではなく、個人による狩猟が多く、一部は先の例のような密猟由来の物も存在するだろう。
では、歴史的にクマの値段はどのように推移したのか、明治、大正、昭和の例を挙げる。
なお、新聞に掲載されているクマの値段を米価に換算するに当たって参考にできるのは生産者価格、政府買い入れ価格、店頭価格などさまざまあるが、この間を比較できる生産者価格を用いる。
歴史から紐解く異常な市場価値
■明治27年、クマ1頭で百余圓
明治27(1894)年10月29日朝、富山県中新川郡早月加積村(現滑川市)に大グマが現れ、村人や滑川署の巡査らに槍で抉られて果て値段は百余圓とされた。(「読売新聞」)クマ1頭で米38俵に相当した。明治30(1897)年頃の小学校の教師や巡査の初任給は89円、大工や職人は20円だった。
■大正12年 クマ3頭で600圓
大正12(1923)年4月12日、秋田県の鳥海山麓で殺獲した20貫(約75キログラム)のクマ1頭と10貫(約38キログラム)のクマが2頭の計3頭で600圓になる、とある。(「秋田魁新報」)
あらかじめ目星をつけておいた穴に母子3頭のクマが越冬していたらしく、効率よく一網打尽にしていた。これは米50俵の値段に相当した。大正10(1921)年の豊作で米価が下落しており、それが影響したようだ。