第1、2次隊の調査概要や現地漁師による捕獲方法に加え、解剖とCT撮影の記録などが載っている。特に予稿集は、調査隊のコモロでの活動を知るうえで大いに役立つ。非常にありがたい。
脳にも焼き付いている44年前の記憶
インタビュー内容に入る前に、堀田さんの経歴を先ほどよりも詳しく記しておく。1939年(昭和14)8月に、当時は日本領だった平壌に生まれた。敗戦にともない6歳で引き揚げた後、静岡県立沼津工業高校で学ぶ。
卒業してからは東京都の公務員になり、工業高校の機械実習を指導するなどした。ほどなく仕事をしながら、夜学部専門の国立の千葉大学工業短期大学部写真学科に通い始めた。
同大修了と同時に科学映画のパイオニアだった日映科学映画製作所(「オール」に社名変更した後、2023年に解散)に入社。24歳からカメラマンへの道を目指し、5年の在籍を経て、フリーに転身する。黒木和雄監督の映画『日本の悪霊』(1970年製作)で、映画カメラマンになった。
2025年10月時点で86歳だったが、とてもお元気で、メール通りに「精一杯」話してくださった。そしてコモロ諸島に向かった44年前の記憶が鮮明だったことに僕は驚かされた。特にカメラのファインダー越しに目にした光景の描写が生き生きとしている。
自ら写してきたフィルムのコマが、脳にも焼き付いているかのようだ。それを引っ張り出すから、長い年月を経ていたとしても、全く色あせていない。まさにカメラマンの語りだ。聞いているうちに、堀田さんの世界に引きずりこまれる。
3つの選択肢
ありきたりながら、堀田さんが調査隊に加わった経緯から聞いた。堀田さんは1981年12月出発の第1次隊だけでなく、1984年1月出発の第2次隊にも参加している。
「カメラの整備のために、なじみの機材屋さんに立ち寄りました。そうしたら知っている製作関係の方から『シーラカンスの調査でアフリカに向かう人たちが、カメラマンを探している』と聞きました。『えっ』と思いましたよ。シーラカンスが貴重な魚であることは知っていましたから。他でもない、その調査だというから、代表の篠之井さんに会ってみることにしました。