ハンサンブ以外の漁村にも、『シーラカンスを釣ってくれ』とお願いに出向いています。実際に捕獲してくれたのはミツアミューリという村の漁師でしたが、他にはイコニ村とかを回りました。また、村々で過去にシーラカンスを釣った実績があるか聞き取りました。僕はこれらの活動を16ミリカメラで撮影しました」

デジタル撮影になった今だとSDカード1枚で数時間分の映像を記録できるが、1981年はフィルム時代だ。全く勝手が違う。

「フィルムは何万フィートとたくさん持って行きました。メインのカメラはドイツ製のアリフレックス16SR。当時の最先端カメラです。サブがキヤノンのスクーピック。いまのデジタルとは違うけど、比較的ぱっと回せるタイプです。

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同じく調査隊員の小林一平さんが、長いポールにつけた録音機で音声を録っていました。代表の篠之井さんには、ドキュメンタリー映画を作りたいという想いがあったわけですから、機材はしっかりしていましたよ」

「シーラカンスが獲れたぞ!」

僕は2022年6月、中東ヨルダンに2週間ほどの撮影出張に出かけたことがある。現地で活動する日本人を映像におさめる仕事だった。できる限り事前に撮影スケジュールを組んだが、どうしても現場対応でしのぐしかない場面も多かった。

日本国内での撮影だと、それこそ分刻みの予定を記入している香盤表通りに動けるのだが、海外は勝手が違う。「出たとこ勝負だ」と腹をくくって前進するしかなかった。

44年前だと、日本出発前からコモロ政府に依頼し、漁師にシーラカンス捕獲を依頼することは到底無理だったろう。実際に顔を見せてお願いしないと、ことが進まない。誠意を見せて信頼されて初めて動く世界なのだ。

ここまでの会話で堀田さんの口も滑らかになってきた。シーラカンスの撮影秘話を聞き出すタイミングと定め、捕獲されて運ばれてきた12月31日のことを聞いた。

「これは本当に予想もしない瞬間にやってきたのです。その日も、いつものごとくハンサンブの村に下り、漁師が釣った魚の確認をしました。どんな種類かと大きさを記録する様子を、僕は16ミリカメラで撮りました。