遺構は巨城北部にもまだまだ続く
三の丸からも急傾斜の木製階段を下り北へ。道はしっかり整備されているので歩きやすい。三の丸北斜面下で袴腰に到達。横長の曲輪で、ここからも眺望が開けている。
七尾市街が手に取るようにわかり、能登時代の前田利家が居城とした小丸山城も見える。
袴腰から左手にスロープを下ると安寧寺跡。ここも北端に土塁が見えるので、七尾城の一曲輪と見て間違いないだろう。傍には、1927(昭和2)年に建立された畠山廟も見える。畠山一族を弔う供養塔だ。
袴腰と安寧寺跡に挟まれた三叉路は、よく見ると一風変わった虎口に見える。さらに袴腰下の犬走りのような道を進んだ先にも三叉路があり、ここも虎口のように見える。
そして北端の遺構へ──
さて、ここから先はどこまで下るか迷う。再三記した通り、下った分は登って引き返さねばならない。城の遺構は見たいが、単なる自然地形には興味が湧かない。縄張図を見直し、番所跡までは行くことに。その先は進んで見て決めることにする。
ほどなくたどりついた番所跡は、二重堀切のような形状。先端側はそのまま堀底道で、縄張図にはないがパンフレットには「七曲り」の表記。その先には「時鐘跡」も。迷ったが、意を決して進む。
「あまり遠いと嫌だな……」という思いが通じたのか、七曲りは番所跡の先端側の堀切から続く、つづら折れの坂道のことだった。
尾根を度々分断する堀底道になっているので、まるで食違い虎口が続くような構造に。ここもなかなか守るに固そうだ。
七曲りを下り切った先、100mも行かずに時鐘跡が現れた。なんのことはない、実にあっさり到達して拍子抜け。
その名の通り、時を知らせる鐘があった場所というが、ここも番所的な役割を果たしていたのではないか。その証拠に、先端の直下を巻く道はやはり、堀切のような凹みになっているのだった。
ここが七尾城の北端だと考えて間違いないだろう。
駐車場までは、袴腰から山腹をほぼ横移動する短絡ルートもあるのだが、現在は地震による崩壊のため立入禁止。途中にある寺屋敷という曲輪へも行きたかったのだが仕方ない。
本丸の副郭しかり、温井屋敷の食違い虎口しかり。修復が完了した頃に、いずれまたこの巨城を訪れてみたい。
写真=今泉慎一









