「パティシエになりたい」って話したら「吉兆」を紹介されて
――高校卒業後、料理人の道を選ばれたのは?
笠原 パティシエの世界選手権というのをたまたまテレビで観て、「パティシエになりたい」って親父に話したら、「おう、いいじゃねえか」って。まあでも親父はパティシエがなんなのかもわかってなくて、「どうせやるなら一流のところでやれ」って「吉兆」を紹介されて、もう親父に言われるがままに。小さい頃から親父のことはずっと尊敬していたし、僕も「どうせやるなら一流のところでやりたい」と思って、「料理人は10年で一人前」という親父の教えを守ってやってましたね。
――お父さまを亡くされたことをきっかけに家業を継がれて、その後「賛否両論」を始められてからまもなく22年。雑誌の連載のほかにもメディアにもたくさん出演されて、いわゆる有名人といいますか、当時の笠原さんは、将来の自分がこうなっている姿を想像していましたか?
笠原 してないですよ。有名人とも思ってないし、ふつうに料理人で。夢はありましたよ。雑誌に出たいなとか、テレビ出たいなとか、売れたいなっていうのは。ラッキーなのは自分でお店が持てたくらいかな、と思いますよ。たまたま自分はラッキーで、いろんなお仕事ができてる。
「指針というかね、自分の軸というかね、そういうものはあります」
――日本料理の料理人、なのに、餃子もお上手ですし。
笠原 それはもういろんな仕事を引き受けてるから、やらざるを得なくなちゃった。
――このままでいいのかなって思うときはありますか。
笠原 常に思ってますよ。
――連載では人生や健康のお悩みを食で解決してくださいましたが、お題への回答も明確で、レシピも作りやすくて美味しくて、わりと迷いがないのかなって思っていたんですよ。
笠原 いやそんなことないですよ。指針というかね、自分の軸というかね、そういうものはあります。でもやっぱり悩みもあれば、いろんな人と話をして、いろんな意見を聞いて、心揺れるときもあるしさ、不安な夜もある。いろんな本を読んでこういう考え方もあるな、ちょっとそうしてみるかとか。そんなもんですよ。
撮影 志水隆/文藝春秋
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