占い師・細木数子(1938~2021)をモデルにした戸田恵梨香主演ドラマ『地獄に堕ちるわよ』(Netflix)が話題となっている。細木を取り巻く人間模様が描かれる中、あらためて注目されているのが歌手・島倉千代子(1938~2013)の存在だ。ドラマでは三浦透子が演じ、細木との蜜月関係や借金問題、訣別が描かれたが、島倉の人生の“波瀾万丈”はそれだけではなかった。(全3回の2回目)
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島倉千代子は結婚生活が破綻し、実家にも戻れず苦境に陥っていたなかでも、自身初のリズム歌謡「ほんきかしら」でヒットを飛ばす。いまから60年前の1966年のことだ。この曲は、日本コロムビアの若手プロデューサーだった酒井政利が、前年に島倉を西田佐知子と競作させた「赤坂の夜は更けて」で惨敗したのにもめげず、新たに提案した企画だった。酒井によれば、島倉は新米の自分にすべてを託し挑戦してくれたという。
のちにCBS・ソニーレコード(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に移籍して、郷ひろみや山口百恵などを手がけて成功を収めた酒井だが、コロムビア在籍中に島倉から初対面時に挨拶のしかたが悪いと叱られたのを手始めに、音楽プロデューサーとして大切な芸能界でのマナーやしきたりを数多く教わったと述懐する(酒井政利『アイドルの素顔』河出文庫、2001年)。
島倉が業界でのマナーやしきたりを心得ていたのは、デビューしてから母親が厳しくしつけてくれたおかげだった。彼女にとっては、そもそも歌う楽しさを教えてくれたのも母親だった。
子供の頃に負った左腕の大けが
島倉は6~7歳のころ、空襲を避けて東京から疎開した長野で、井戸までガラス瓶を持って水汲みに行った帰りに転んでしまい、割れた瓶の破片で左腕に大けがを負った。どこの病院に行っても腕を切断するしかないと言われたが、「女の子だから、たとえ動かなくなっても残してほしい」と母親が必死に訴え、やっと何軒目かで手術してもらえた。おかげで腕を切らずに済んだものの、左手の握力を失ったうえ、手術の跡もはっきり残り、もともと内向的だった彼女はますますしゃべらない子になってしまう。
そんな娘に母親は一緒に風呂に入るたび歌をうたってくれた。小学校に入ってからもほとんどしゃべらなかった彼女だが、このときだけは自然に笑顔になれたという。やがて母の歌う「リンゴの唄」を追いかけるように歌っているうちに、少しずつ声が出るようになっていった。「リンゴの唄」を全部覚え、初めて一人で歌ってみせたときの母のうれしそうな顔が忘れられないと、島倉は後年になっても語っている。
それからというもの、島倉は歌でなら思いを伝えられるようになった。戦後戻った実家のある東京・北品川では商店街の若旦那たちが「若旦那楽団」を結成し、お祭りや売り出しになると音楽を披露していた。彼女もその一員として参加し、地元の人たちから愛された。

