悩んだ末、和が出した“答え”

 尚江は意外に早く、2日後の朝、東京看護婦会にやってきた。和が差し入れた大島の着物を着ているため、出署直後にはとても見えない。

 この日、雅は婦人衛生会の集まりに出かけていて、珍しく留守であった。和は看護講習の途中であったため、事務員の和賀操にお茶を出すように頼み、小1時間ほど尚江を待たせた。操は最初、看護婦として応募してきたのだが、事務能力が高く、人当たりもよいので、忙しい雅に代わって看護婦の勤務管理や、患者とその家族の対応を行うようになっていた。

 講習を終えた和が事務室へ入ると、尚江と操が談笑している。和は、尚江を退屈させていなかったことに安堵しつつも、若い2人があまりに楽しそうなので、疎外感を覚える。

ADVERTISEMENT

「では、私はこれで」と操が椅子から立ち上がると、尚江が名残惜しそうな顔をする。

 尚江はもう篭の鳥ではない。自由に誰とでも会うことができるのだ。そのことを素直に喜べない自分に気づき、和は恥じ入る。

見上愛 ©時事通信社

 尚江は和に、収監中に世話になった礼を言い、しばらく同郷の代議士の屋敷に身を寄せ、東京での用事を済ませたら松本へ帰ると伝えた。そして、もう用事は済んだとばかりに立ち上がる。結婚の申し込みについての返事を聞きにきたとばかり思っていた和は、拍子抜けする。

「私は“日本のナイチンゲール”を好きになった」

 玄関から尚江を送り出すと、隣に建つ講習所の窓から、学生たちが興味津々の様子でこちらを眺めている。尚江は被っていた帽子を片手で持ち上げ、学生たちに向けて振った。

 学生たちは歓声を上げ、尚江も満足そうだ。すると、急に尚江が真顔で和をふり返り、「例の件ですが。お受けいただくということでいいですね」と念を押すように言う。

 例の件とは結婚のことだろう。返事を聞くまでもないということか。和が正直に「いえ。まだ決めかねています」と答えると、尚江は意外な顔をする。

「わかりました。そうですよね。私は今、出署したばかりの無職の身です。和さんが躊躇するのも無理はない」

「そうではありません。木下さんの仕事のことではなく、自分の仕事のことで迷っています。私は看護婦を辞めたくないのです」

 尚江は高らかに笑いながら「もちろん、看護婦は続けてください」と言う。「私は『日本のナイチンゲール、大関和』を好きになったのですから、むしろ辞めてもらっては困ります。返事は急ぎません。では、また」

 尚江は帽子を被りなおすと、門を出ていった。

最初から記事を読む 女児は「間引き」され、生理を抑える「ボロ」すらない…朝ドラヒロインのモデルが目撃した明治の女性たちの「想像を絶する暮らし」

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。