「家にいるよりずっと外で遊んでいた」という小学生時代の酒井さんが憧れたのは、テレビ番組の「アメリカ横断ウルトラクイズ」。ビデオに録画して答えを暗記するほど熱中した酒井さんは、「いつかこの番組に出たい」と、予選が行われる東京に思いをつのらせた。

しかし、上京して日本大学に進学した後に、すでに放送が終了していることを知る。番組に出ることだけを目標にしていた酒井さんは途方に暮れ、「4年間何をしよう」と悩んだ。いっそのことひとりで自転車横断をしようかとも考えたが、サバイバル技術を何も持っていなかった。大学に探検部があることを知った酒井さんはすぐに入部し、毎週野宿をするような生活のなか、1年間で技術を身につけた。

大学2年生の夏休み、先輩と2人で念願だったアメリカ横断を決行する。サンフランシスコからニューヨークまでの約6000キロを60日かけて自転車で旅をした。テレビ番組を見て以来、ずっと憧れていたニューヨークに到着して自由の女神を見た時は「感無量だった」という。

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インドで倒れる

翌年、今度は後輩と一緒にインドへ。首都デリーからコルカタまで約1800キロを、50日かけて自転車で行く予定を立てたが、初日からお腹を壊し、最後まで体調不良に見舞われた。当時は清潔な水が確保できず、1カ月で体重は18キロも減少した。残り600キロ地点に到達した時に、とうとう体力が尽きて、道に倒れ込んでしまった。

「道路に寝転んだら青空が見えて、この空は日本につながってるんだなと思ったら、もう涙が出てきたんですよ。なんとかして日本に帰りたいと思って、『生きて日本に帰してくれるんだったら、日本のために役立つような人間になります』と神様にお願いしました」

このときの酒井さんを救ったのが、米だった。インド料理を受け付けなくなっていた酒井さんは持参したのりたまのふりかけと、途中で知り合った日本人に分けてもらった鮭フレークを白米にかけて食べた。慣れ親しんだ日本の味に元気を取り戻した酒井さんは、なんとか走り切り、ゴール地点のコルカタに到着した。