國分 実は、僕はそんなに散歩しないんですよ。もっぱら自転車でちょっと遠くまで行くことが多い。
島田 移動距離も延びるし、速度も違いますから。
國分 せっかちなので、歩行の速度に耐えられないんです。大して考えずに走っているから、後から考えればとんでもない距離を漕いでいた、ということがあります。普通のママチャリなんですけどね。次の日にすごく疲れが残って、初めて気付く。
島田 どこまで走るんですか?
國分 この前は狭山湖まで行きました。まっすぐ向かわないので、気づけば4時間ぐらい漕いでいました。
島田 その間、なにか考えごとをしたりは……。
柄谷行人さんも毎日散歩するらしい
國分 僕は、島田さんとは違って、仕事のひらめきは日常の動作をしているときに出てくるんですよ。「もうダメだ」なんて思いながら玄関でタバコを吸っていたら「ひらめいた!」となって、論文の続きが書けることがよくある。自転車に乗るのは、もっぱらやることはあるけれど、とにかく無になりたい時ですね。
哲学者でいうと、柄谷行人さんも毎日散歩するらしいですね。カントを真似しているんだろうか(笑)。
島田 それに、あの人は足に自信があるんですよ。もともとバスケットボールをやっていたのもあるし。1回柄谷さんと腕相撲をして、勝ったことがある。そしたら「俺は足だから」って言い張るんです。
國分 負けず嫌いなんですね(笑)。でも、柄谷さんも散歩しているなかで、いろいろと思いつくところがあるのでしょうね。
島田 散歩することと、本を読むことには共通点があると思うんです。散歩とは、街や自然の中に秘められたイメージを発掘する営みであって、それは読書における、テキストの中をさまよい、刺激を得る、ということに似ている。
※本記事の全文(7000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2026年6月号に掲載されています(島田雅彦×國分功一郎「散歩は哲学を生む」)。
全文では、以下の内容が語られています。
・移動は根源的な欲求
・ただ歩くことでデモになる
・完全な「移動の自由」の問題
