駅伝のテレビ中継テロップで何度も目にしていた「ガル高校」
私はついに「ガル高校」を発見した。
しかし同時に、それは新たな謎の始まりだった。
なぜ、ケニアの一地方の高校に対して「ついに」という感覚を抱くほど入れ込んでいるのか。その名前を聞いたことのある陸上ファン以外は、きっと疑問に思うことだろう。しかし、このガル高校は、陸上界では長らく都市伝説のように語られてきた存在だった。
その名が知られるようになったのは、1990年代のこと。日本でケニア人ランナーが走り始めたのは、第2章で記した通り、実業団では1980年代中盤にエスビー食品で、大学では山梨学院大学が1980年代後半に、高校では仙台育英が1990年代前半に切り開いた。
その後、ライバルチームたちは、数年間は日本人にこだわった。しかし、ケニア人ランナーたちがもたらしたインパクトの大きさから、次第に追随するようになる。
実業団ではエスビーが始めたのち、コニカ(現コニカミノルタ)、MDI(現レオパレス21)、マツダ、トヨタ自動車、スズキが続き、大学では山梨学院大学に続いて、日本大学、拓殖大学などが早くからケニア人ランナーを受け入れた。
高校では、青森山田や滋賀学園、世羅などが仙台育英の後を追った。そうしてケニア人ランナーが増えるにつれて、出身校にも注目が集まるようになっていく。
駅伝はテレビ中継される際に、各選手の出身校が表示される。基本的には、視聴者が地元の選手を身近に感じて、より応援しやすいようにという意図で、日本の学校を想定したものだろう。そもそも海外の高校名を書いたところで視聴者は認識できない。
それでも、ケニア人ランナーも他の日本人と同じように出身校が紹介される。そこで何度もテロップに表示されたのが、ガル高だった。
2009年(85回大会)に日本大学で箱根駅伝の2区を走り、驚異の20人抜きを果たしたギタウ・ダニエルもガル高の出身だ。同じく日大に所属したディラング・サイモンやガンドゥ・ベンジャミン、あるいは拓殖大学のジョン・マイナ、ダンカン・モゼもガル高の出身となっている。



