“女子大生は戸惑った。隣のYは平然とブラジャーを外した。ええ? みんな取っちゃうの?”
1982年の盛夏、ミスコンの最終審査に選ばれた10人の女子大生。彼女たちが戸惑いを隠せなかった「驚きの選考方法」とは?
作家・本橋信宏氏の文庫『歌舞伎町アンダーグラウンド』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)
◆◆◆
歌舞伎町の名物ママの正体は⋯
「カウンターに、付き合ってた男たちが3人並んだことありましたよ。めんどくさいから、昔付き合っていたこといいますよ。わたしって、別れた男には優しいかも」
新宿ゴールデン街「中村酒店」のママ、中村京子がカウンターのなかから語りかける。何の悩みもなさそうに語尾を伸ばす、80年代女子大生特有の言葉遣いがまだ生き残っている。
中村酒店の住所は歌舞伎町1丁目1番地。
戦後、青線だったエリアが新宿ゴールデン街として生き残った。
通説ではあるが、売春行為を黙認する区域を警察が地図に赤い線で囲み、これら特殊飲食店街を俗に「赤線」と呼んだ。これに対して特殊飲食店の営業許可なしに、普通の飲食店の営業許可のまま、売春行為をさせていた区域を地図に青い線で囲み、「青線」と呼んだ。
中村京子の中村酒店は旧青線地帯、新宿ゴールデン街にある。
1階が極小空間の飲み屋、2階は青線時代の名残、娼婦が客を取る部屋で、現在は2階も別の店が営業している。
ここは長屋だから壁一枚で隣の店に連なっている。
人口密集地帯で、安あがりの店が寄りそう。
街には文化人、小説家、評論家、映画監督、俳優、テレビディレクターがやってきた。
ゴールデン街は酒で気が大きくなった彼らの論争の場となり、しばしば腕力に訴える場にもなった。その意味においてきわめて歌舞伎町的であった。
