曰く、英国滞在中の武川さんに手紙を送ったことはあるが、あくまで修道士として個人的な身の上相談の相手になっていただけで、同封した切手もドン・ボスコ出版の人たちで彼女を喜ばせようと発案して1千円分近くの珍しい記念切手を一度送っただけである。
車(ルノー)で武川さんを寄宿先近くの京王線明大前駅付近まで送った際、車が故障し修理してもらったことは事実だが、その際、彼女から「英語で書かれた都内の地図が欲しい」と頼まれ、後日、武川さんの住まいを中心とした略図を書いて送った。おそらくBOACに提出するものだと思っていた。
事件はその後⋯
3月5日に武川さんからロンドン土産の皮手袋をもらった。それ以来、彼女には会っていない──。
平塚は先方が用意した通訳を介しての調べに苦労し核心に迫ることはできなかった。
そして5度目の聴取を終えた5月22日、ベルメルシュ神父が「過労による衰弱」により入院。
警察は6度目の聴取を求めたが、6月11日夜、入国管理局から高井戸署に「ルイズ神父が19時半の便で出国した」との報せが届く。
教会側は、持病の胃弱が悪化して食欲不振を訴え、体重も10キロ近く減ってしまったためベルギーで休養させることにしたと説明したが、警察には寝耳に水の話だった。
その後、捜査当局は身柄引き渡しなどの外交的措置をとることなく、事件は迷宮入り。1974年3月10日に公訴時効を迎えた。
本事件について、世間の大半は神父と被害者の痴情のもつれと推測したが、作家・遠藤周作は「あたかも真犯人と決めつけた報道は人権蹂躙である」と激しく非難する一方、作家・三浦朱門は「犯人でないのであればなぜ積極的に捜査協力しないのか」と疑問を呈した。
