宇野 薬を飲んでも全く治らなかったんです。それどころか、真っ赤な腫れが足の方まで広がり「まるで豚肉みたい」と感じました。通訳をするときは、ストッキングを穿いていたので、赤みが見えてしまうのが辛かったですね。日を追うごとに酷くなり、顔にまで蕁麻疹が広がった時には、仕事に行くことができなくなってしまいました。

 厄介なのは、ものすごく痒いし辛いけど、熱もなく体は元気なことです。それなのに仕事に行けない。頭の中が自分を責める言葉でいっぱいになっていきました。

 今振り返ると、10歳から子役として走り続けてきた私にとって、早めに訪れた「ミドルエイジクライシス」だったのかもしれません。

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絶望の中でよみがえった、「橋田先生の言葉」

――蕁麻疹が悪化してからは、どう過ごしていたのでしょうか。

宇野 2018年頃から蕁麻疹が酷くなり、2019年の春には仕事は全てキャンセルして、体を冷やしながら横になることしかできなくなりました。療養しているうちにコロナ禍に入り、通訳の仕事が一切なくなってしまったんです。

 実家暮らしのため飢える心配はありませんでしたが、蕁麻疹を抱えている以上、「自宅でできる仕事を持たなければ生きていけない」と感じました。

 そんな時に思い出したのが、橋田壽賀子先生から言われた「あなたは、いつか書くわよ」という言葉だったんです。

『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』の脚本家として知られる橋田壽賀子先生 ©文藝春秋

――その言葉をかけられたのはいつだったのでしょうか。