クローバーが植えられた背景には…
クリムゾンクローバーは昔から葛尾村で栽培されていたわけではない。「あの日」が原因だ。
2011年3月11日に発生した東日本大震災である。葛尾村は震度5強。ただし、阿武隈山系は岩盤が固いので、大きな被害はなかった。
松本さんは当時、勤務先で溶接を担当していて、40kmほど離れた太平洋岸にある東北電力の原町火力発電所(福島県南相馬市)にいた。「高所で作業中に、死ぬかと思いました。幅1mほどの通路の下は20~30m丸見えです。落ちたら命はありません。必死で手すりにつかまりました」。
避難した屋上から、発電所の港の水がさーっと引いていくのが見えた。しばらくして水平線に白い筋が一直線に走り、近づいて来る。津波だ。近くの漁港を呑み込んで、漁船を内陸部へ流していく。発電所も浸水した。津波は何度も来襲し、避難を繰り返すなどして翌朝を迎えた。帰宅したのは翌12日の昼だ。
大家族での避難…村の全域が避難指示区域に
10人の大家族で住んでいた家には、太平洋岸に住む親類の3家族が避難して来ていた。津波ではなく、原発のせいだった。東京電力福島第1原発(大熊町・双葉町)の暴走が抑えられなくなり、政府が12日午前5時44分、原発から半径10kmのエリアに避難指示を出したのだ。原発では午後3時36分に最初の爆発が起き、政府は午後6時25分に避難指示エリアを20kmに拡大させた。
「家には乳飲み子もいました。親類に原発に詳しい人がいて、避難を決めました。午後10時ぐらいだったと思います」。夜道を車で走り、原発から直線で60km以上離れた福島市内の高校体育館に身を寄せた。原発ではその後も爆発・火災事故が相次いだ。
村内で原発から20km圏の避難指示区域に入ったのは一部の土地だ。しかし、松本さんが避難した2日後の14日夜、村役場は追いかけるようにして全村民に福島市への避難を呼び掛けた。政府が原発から約5kmの地点にある現地対策本部・オフサイトセンターを放棄し、県庁へ逃げたという情報をつかんだからだ。さらにその翌日、村役場は「福島市も危ない」と判断し、原発から100km以上離れた会津地方へ再避難した。
それから1カ月以上が経過した4月22日、政府は葛尾村全域を避難指示区域に繰り入れた。一定の放射能汚染が確認されたからだ。松本さんや村役場の行動が正しかったと証明された。




