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牛を殺さなければいけなかった
松本さんには気がかりなことがあった。和牛の繁殖農家でもあったので、自宅の牛舎に母牛5頭と子牛3頭を残していたからだ。子牛は少し大きくなったら市場に出すなどする経済動物だ。しかし、日ごろは母牛にも子牛にも家族同様に愛情を注いでおりペット以上の存在だった。松本さんは役場と別行動で福島市にとどまり、自宅に再々戻って牛の世話をした。
そんな時、畜産農協の理事から「政府は原発から20km圏内の家畜を餓死させると決めた」と伝えられた。松本さん宅は原発から20km以上離れている。だが、圏域指定はコンパスで描くようにはなされず、バリケードの設置しやすい交差点などを結んで区域が決められた。このため20km圏外でも圏内に入れられた地区が多くあり、松本さん宅も含まれた。
「餓死なんてとんでもない。検査して汚染されていなければ殺す必要はない」。国に働きかけるよう村長に直訴するなどした。餓死ではなく薬殺とされたものの、政府は殺処分の方針を崩さなかった。
「どうせ殺されるなら、せめて自由に草を食べさせて水も飲ませたい」。それまでは放射能汚染を恐れて牛舎から出していなかったが、隣家と一緒に放牧した。
葛尾村の「20km圏内」では10軒の牛が薬殺された。松本さんは役場の要請で立ち会った。手慣れた人間が必要で、比較的近場の福島市にいたからだ。絶命した牛が埋められるまで、涙ながらに見届けた。




