また、やはり1980年に始まった日本テレビ系のオーディション番組『お笑いスター誕生!!』でも、俳優・声優の山田康雄と名司会ぶりを見せる。同番組を企画したプロデューサーの赤尾健一は、《ミエちゃんはズバズバ発言するタイプだから、山田さんとの組み合わせでハプニング的に面白いトークが生まれるかもしれないと思ったんだよね。だけど、ミエちゃんは期待以上だったね。ときに厳しいお母さんのような役割を果たしてくれて本当にありがたかった》とのちに語っている(『週刊現代』2018年3月31日号)。

 同番組で一躍知られるようになったモノマネ芸人のコロッケも、彼女を中心とした家族的なつながりがあったと振り返り、前週で勝ち残れず、その週に出番のない芸人も、楽屋に弁当を食べに来ていたほどだったと証言する(同上)。

とんねるずに苦言「素人にそういうことをするのは…」

『お笑いスター誕生!!』で10週勝ち抜いてグランプリを獲得したとんねるず(当時のコンビ名は貴明&憲武)に、ネタを披露する場として東京・赤坂のナイトクラブ(赤坂コルドンブルー)を紹介したのも中尾だという。それだけにとんねるずに対して彼女はその後もずっと気になって注目してきた。ときには彼らがテレビで素人をバカ呼ばわりしたりすると、反駁(はんばく)の手段を持たない素人にそういうことを言うのはルール違反だと雑誌で苦言を呈したこともあった。

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《私、「今の若い人は」っていう言い方は好きじゃありません。誰にだって若い頃はあるんだし、私自身、若い時は先輩達に毎日のように注意され、時には怒られてましたからね。そういうことって、ある年齢になると、肥やしのように効いてくるんです。悪意じゃない注意や小言って、ホントに身になるんですよ。だから、私も自分が「この人は」と思う人にはあえて言いたいんです。嫌われようが、煙たがられようが(笑)》(『週刊文春』1992年11月12日号)

 中尾は新人時代からみんなに怖がられる人になりたいと公言してきた。後年の対談でも、《若い人は知らないことがいっぱいあるわけですから、やはり教えてあげないとね》と話し、実際に飛行機で子供、それも話せばわかる年頃の子が泣いていたので、一緒にいた父親に「泣きやませなさい」と注意したことがあったと明かしている(『サンデー毎日』2019年4月21日号)。

音楽番組に出演するたびにけんか

 言わねばと思ったことは躊躇せずに言うので、ときにスタッフとけんかになることもあった。中尾のデビュー当時は、テレビ局の音楽番組のスタッフにはバンド経験者が多かったこともあり、みんな譜面が読め、曲の小節ごとに歌手に指示を出すことができた。しかし、1980年代後半にもなると音楽の知識のないスタッフが増え、VTRなどの機器が発達したこともあり、少々満足がいかなくてもすぐOKにしてしまい、編集で修正するというありさまだった。

 反対に音楽とは関係ない理由で、歌っている途中で止められることもあり、中尾は音楽番組に出演するたびにけんかしては、ついには「もう二度とでません」と宣言する。おかげで仕事が減り、40代のこの時期の最大の収入源はディナーショーとなっていた。