中尾の芸能界の育ての親である渡辺プロダクション創業者の渡辺晋が亡くなったのもこのころ、1987年のことだった。その後、会社にいれば自分は守られるが、それでは甘えてしまってダメになると思った彼女は、入社30年の節目に「外に出させてください」と申し出て、円満退社した。それからというもの、2019年に渡辺プロ傘下のワタナベエンターテインメントに復帰するまで約30年間、一人でやっていくことになる。
中尾は15歳で芸能界にデビューして以来、多忙な日々を送り、若いころは暗いうちに寝たことがなかったほどだという。《それは、時間的に忙しかったこともあったんですが、自分は特殊な人間なんだという意識が、そのようなめちゃくちゃな生活にさせたということも言えるんですね》とのちに省みている(『週刊文春』1987年6月4日号)。
突然脚が動かなくなり…
しかし、そうした生活は体に確実にダメージを与えていた。中尾がそれに気づいたのは30歳のとき、リサイタルのためダンスを懸命に練習したが、初日の前日に突然、脚が動かなくなってしまったことによってだった。これをきっかけに生活習慣を改め、早寝早起きを心がけるようになる。
同時に、もう若くないのだから付け焼き刃で仕事はできないと痛感し、きちんとレッスンを受けようと、ジャズダンスを習い始めた。10年続けてみて、もうちょっと極めるにはクラシックバレエをやったほうがいいのかなと考え、40歳からはバレエに転向し、これも10年続けた。50歳になるともう脚が上がらないし、これは続けていても先がないと見切りをつけ、代わってタップダンスを始める。
50代に入ってからは、水泳を始めたほか、車の運転免許を取ったり、パーソナルトレーナーについて筋トレを始めたりもした。水泳は54歳のとき、年齢層ごとにタイムを競う「ウーマンズ・マスターズ」という大会があると知って、まったく泳げなかったのにもかかわらず出たいと思い、元競泳選手でタレントの木原光知子から個人指導を受けるようになった。次の年から50メートル自由形で出場を始め、毎年、タイムを縮めることを目標に続けている。
