50代までは習い事も体を動かすものが中心だったが、還暦をすぎてからは、あえて苦手なこと、それまで避けてきたことに挑戦しようと料理や水彩画の教室にも通い始めた。その後も、一つのことを深く掘り下げるよりもとにかく数を経験したいと手を広げるうち、俳句や書道など趣味はどんどん増えていった。#2で触れた「ミエ道場」も含め、トレーニングや習い事の先々で親しい人たちができ、それぞれチームをつくっては交流を続けている。
交友関係は公私にわたって広いが、それは一生のうちに出会える人の数は限られると、積極的に動いてきたからだ。移動中に隣り合わせた人と連絡先を交換し、あとで再会したこともあった。新幹線で作家・僧侶の瀬戸内寂聴と乗り合わせたときは、初対面ながら挨拶し、東京から名古屋までずっと話し込んだという。これが縁で、後日、『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した瀬戸内が友達として中尾を紹介している。
初対面の人から誓約書を…
初対面の人から誓約書を取るのも趣味だという。元横綱・北の富士とも、彼が九重親方だった1989年、たまたま出会ったときに「あなたが65歳の折に、私がささやかなパーティーで盛大にお祝いすることを誓います」という誓約書をもらい、23年後、約束を果たしてもらっている。当の中尾は誓約書を取ったことをすっかり忘れていたが、たまたまミュージカルの公演で北海道を2週間回ることになり、旭川で1日休演があるので事前に友達においしい店がないかと訊いたところ、北の富士の弟がやっている店を紹介され、ようやく思い出す。さっそく北の富士に連絡をとると、先方もちょうど旭川に行くタイミングで、中尾は連れて行ったスタッフ30人とともにごちそうに与ることができたという。
その北の富士も一昨年(2024年)亡くなった。同じ年には新人時代、伊東ゆかりとともに「3人娘」として活動した芸能界の盟友・園まりも80歳で亡くなっている。その死を受けて中尾は《人生には必ず終わりが来る、だからこそ最後まで悔いのない人生を送りたいとあらためて感じます》と語った(『婦人公論』2024年10月号)。同時期にはこんなことも話していた。
