1992年、スター選手が多かった“オフトジャパン”で、森保一監督はあまり目立つ選手ではなかった。しかし、ピッチでは誰よりも泥臭く汗をかき、チームのバランスを考えて戦ったその経験こそが、今の強い日本代表を作る土台になっている。そう語るのは、オフトジャパンでともに戦った盟友・武田修宏氏だ。
なぜ森保監督は批判を浴びても折れず、選手たちと固い絆を結べるのか。解任危機の夜、三浦知良選手やラモス瑠偉氏らと囲んだ食卓で交わされた会話とは。日本サッカー界を背負う指揮官の原点と素顔を武田氏に聞いた。(全3回の1回目/2回目に続く)
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スター選手が多く、現役時代は目立つ印象はなかった
――武田さんが森保一監督と代表で初めて一緒にプレーしたのは?
武田 1992年5月のアルゼンチン戦です。その時の森保監督の印象は正直、あんまりないんだよね。当時は(読売)ヴェルディと(日産)マリノスが強かったので。
代表もラモスさん、都並(敏史)さん、カズ(三浦知良)さん、北澤(豪)さんのヴェルディ組と哲(柱谷哲二)さん、井原(正巳)さん、成(松永成立)さん、勝矢(寿延)さんのマリノス組が中心で、サンフレッチェ広島からは高木(琢也)さんと森保監督、あとはGKの前川(和也)さんだけでした。
どちらかというと高木さんの方が目立っていて、少し前に当時の代表トレーナーに「当時の森保監督の印象どうだった」と聞いたら「いや、あまり覚えてないんだよね」と言っていました。昔の記憶だからかもしれないですけどね。
――プレーでも目立つ感じではなかったのですか。
武田 周囲に個性の強い選手がたくさんいたからね。森保監督は、ピッチでは黒子に徹して、オフトさんの言うことを忠実に守って、堅実に我慢強くプレーする感じだった。ピッチを離れても、あまり表に出る存在ではなかったですね。
――当時、森保監督との絡みはあまりなかったのですか。
武田 森保監督は、Aチームでレギュラーだけど、自分はBチームで、しかもFWではなく、サイドバックやっていましたからね(苦笑)。FWの序列はカズさん、ゴン(中山雅史)さん、高木さん、黒崎(比差支)さんで、自分はFWではなく、サイドアタッカーと言われていた。
ただ、ピッチを離れると、節目節目で行われる食事会の席割りとか飲み会の設定は自分がしていて、裏方で汗かき役をしていたよ(笑)。森保監督と再会した時に昔の話を聞いたら、「武さんにここ集合だって言われて、ディスコとかいろいろ誘われて行きましたよ」と言われた(苦笑)。

