仏教は「新しいゲーム」である
それを言ってはおしまいよ、である。でも特に現代の若者たちはもう気づいてしまった。おかげで、「反出生主義」なんていうスタンスも生まれている。
息苦しい、生きづらい、生まれてこなければよかった。でも生まれてしまったからにはつらい競争には背を向けて、人生そのものに正面から参加すること、頑張ることを拒否する。社会にはろくに関わらず、子孫も残さず、家を守らず、したがって国を守らず、この惑星も守ろうとは考えない。
そこに、著者・ネルケ無方氏は「仏教という新しいゲーム」を提案する。不条理で生きづらい人生というゲームを降り、新しい枠組みを導入することで、やりがいのあるゲームに変える。でも「理屈っぽいドイツ人」のネルケ無方氏が考える仏教とは、ありがちなご利益ポイントを稼いで救いというゴールに到達するような民衆騙しまがいの宗教とは違うらしい。じゃあどんな仏教? それを解説するのがこの本だ。
日本文化紹介のイベントで座禅に出合う
仏教自体はもちろんインド発祥だが、著者は学生時代に体験した日本の文化紹介イベントで座禅に出合い、日本的な仏教への理解を深め、学ぶために来日したという。
昨今、世界中で影響力を持つに至ったアニメやコミックスなどのサブカルチャーが牽引する形で、日本文化への関心が高まり、高度な日本語を身につけて日本に定住する知識層の外国人が増えている。
カルチャー消費の段階を超えて「知りたい」「見たい」という気持ちが「行きたい」「学びたい」という行動に結びつき、この複雑で曖昧な日本語を驚愕の学習能力で習得して優秀な外国人の様々な才能が花開く著作やトークを、私はいつも満腔の敬意でもって目にし、耳にしている。
なぜなら、言語こそが文化精神性の凝縮、鏡だからだ。日本人が外国語を習得する過程にその国の習慣や精神性を理解するプロセスがあるのと同様、ハイレベルな日本語を習得してくれた人には、必ずその過程で日本に関するポジティブな感情だけではない、さまざまな気づき、戸惑いや疑問が生じている。ドナルド・キーンの例を引くまでもなく、その「なぜ」や驚きや戸惑い、場合によっては憤りを清濁併せて自分なりに納得し内面化してこそ、表層的な「日本大好きです」ではない、深い理解へと導かれるからだ。