ドイツ人が語る仏教だから得られるものがある

「日本的なるもの」を外部から(しかも日本語で)著述する試みには、だからそういう実に私的な、なおかつ高度な葛藤が宿る。

つい先日も、英国人A・ウェイリー訳の『源氏物語』を日本語に逆翻訳した『源氏物語 A・ウェイリー版』(左右社)を読んでみて、日本人が源氏物語を現代語訳するのとはまったく違う新鮮な言語風景にハッとさせられた。

「エンペラー」「ランプ」「スクリーン」「コート」。異文化に育った人が日本の文化を本人の理解で再話したテキストは、日本人にとっては血肉であり意識すらしない非言語的な感覚すらも理解し、体得し、言語化せねばならないという努力を乗り越えた先で描かれている。現代の日本人が古典を翻訳したものは日本文化の地続きにある「現代的」。だが現代の外国人が日本の古典を翻訳したものは、海を越えた「モダン」になるのだ。

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本書も同様、著者・ネルケ無方氏はさまざまな「説明しづらい日本仏教」を長年の精神鍛錬と研究で乗り越えていく。欧米のインテリ層には、近年、変化への反動として非科学性を増し原理化する一部のキリスト教に嫌気がさして、自然科学、量子論やカオス理論とすら相性が良い仏教を好む人が多いらしい。

走りたくないなら、走らなくていい

そういった欧米の「頭でっかちなインテリ僧侶」である筆者は、たとえば一神教のキリスト教を当然とする生育背景からは不思議としか思えない「(唯一)神の不在」、仏教特有の「神々のインフレ(なんと八百万まで増殖)」の“理由”を理解し、さらに科学的かどうかで言えば多分そうでもなさそうな「輪廻転生」などを論理的に考察していく。

「一回や二回くらい生まれ変わったって構いませんが、それが永遠に続く輪廻転生を想像すると、やはり億劫としか言いようがない」などと、決していい子に収まらない結論に達しているのも面白い。

日本文化を背景に育った日本人僧侶が解説する仏教入門ではなく、キリスト教から仏教へと入ってきた外国人僧侶による仏教入門は、それ自体が俯瞰的であり、比較宗教論的で味わい深い。イラスト調の表紙から察するに、若い世代に向けた仏教入門として「クソゲー」なる言葉をタイトルに採用したかもしれないが、同時に知的好奇心の強い中高年が面白がることのできる一冊だ。