21世紀を「戦争の世紀」に変えつつある“元凶”の1人が、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相(76)だ。なぜ、世界はこの男に振り回されるのか?  生い立ちや内在的思考、政治信条など多面的な角度から、中東在住のジャーナリスト・曽我太一氏がレポートする。

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ネタニヤフ=神が与えた

 1948年5月14日、イギリスによるパレスチナ委任統治が終了すると、テルアビブに集まったユダヤ人たちはイスラエルの建国を高らかに宣言した。イスラエルの一方的な建国に反発した周辺のアラブ諸国はイスラエルへの攻撃を開始し、第一次中東戦争が勃発。その混乱の最中、滞在先のアメリカからイスラエルに向かった1人の男がいた。その男の名前はベンツィオン・ネタニヤフ。後にイスラエルを歴代最長にわたり牽引することになる、ベンヤミン・ネタニヤフ首相の父だ。

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トランプ大統領にイラン攻撃を提案したネタニヤフ首相 ©時事通信社

 独立の翌49年、ベンヤミンは、戦争の面影が残る地中海沿いの都市テルアビブで生を受けたが、彼の考えを知る上で、父・ベンツィオンの存在は欠かせない。

 ベンツィオンはロシア帝国当時のポーランドに生まれたユダヤ人で、1920年、父に連れられてパレスチナに移り住んだ。当時、移住した多くのユダヤ人がそうしたように、スラブ系だった家族の姓を「神が与えた」を意味するヘブライ語名「ネタニヤフ」に改名した。

テルアビブで行われたデモ。ネタニヤフ首相の顔に「失敗した」と書かれている(©曽我太一、2026年5月29-30日)

 その後、ベンツィオンは学術の道を志す。イスラエル建国に繋がったシオニズムには大きく分けて二つの流れがあったが、ベンツィオンは「修正主義シオニズム」の開祖ゼエブ・ジャボティンスキーの秘書を務めるなどして、薫陶を受けた。修正主義シオニズムとは「労働シオニズム」の対概念で、ユダヤ人国家の建設を強固に支持し、パレスチナのいかなる領土分割にも反対する立場をとった。労働シオニズムが社会主義的でアラブ人との融和も視野に入れていたのとは対極だった。

 修正主義シオニズムの考えは、今もベンヤミンの思想の根幹に根付いている。パレスチナのイスラム組織ハマスによる大規模攻撃を受けた1カ月後の2023年11月、ベンヤミンは会見で、「私は、父ベンツィオン・ネタニヤフ教授の弟子であり、ゼエブ・ジャボティンスキーの弟子でもある」と強調した。