幻に終わった「スペイン村」建設計画
広大な鉄道施設も連絡船に乗り継ぐ桟橋も必要ない。だから駅はだいぶ小さくなって、現在のコンパクトな駅舎に装いを改めた。
いま、連絡船の設備のあった突堤付近を歩いても、往時の面影はほとんど残っていない。わずか突堤の隅っこに、宇野港を築いた檜垣知事の像が建ち、その近くに連絡船の小さな遺構があるくらいだ。
実は連絡船なきあと、この町では跡地を活用して「スペイン村」なるレジャー施設の建設を計画していた。
玉野市や岡山県も出資する第三セクターを設立し、国鉄用地(国鉄清算事業団用地)を取得してスペインの伝統ある町並を再現。1992年のバルセロナ五輪に合わせてオープンしよう……というものだ。
当時は連絡船がなくなり造船不況という二重苦にあった玉野にとって、観光産業は町の救世主として期待されたのである。
しかし、ほどなくバブルが崩壊し、用地を取得しただけで建設には至らずスペイン村計画は頓挫した。
このあたりの成り行きは、とりたてて珍しくもなんともない。バブル崩壊に前後して日本中でこうしたよくわからないレジャー施設構想が生まれては頓挫していた。
宇野駅前のスペイン村も、数多の例のひとつに過ぎない。むしろ建物ができる前に諦めたのは幸運だったといっていい。なまじっかスペイン村ができていたら、それがそっくり廃墟になっていたのかもしれないのだから。
そんな幻のスペイン村。ほとんど唯一といっていい名残が、宇野駅だ。1994年に完成した宇野駅は、構想段階のスペイン村に合わせてデザインされたのだとか。
だからどことなく地中海ムード。瀬戸内海といえば、日本の地中海。スペイン村はないけれど、芸術の島の玄関口としては案外馴染んだ駅舎になっていた。
撮影=鼠入昌史
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