「頭をガーンと殴られた感じ」大企業→家業に入って感じた挫折
1994年、元之さんは35歳のときに家業に入った。それ以前は東レ株式会社に12年間勤めており、新規事業の顧客開拓のため、国内外を忙しく飛び回っていたそうだ。
「花開くまでに時間はかかりましたが、仕事はすごく面白かったですね。のちにきちんと成果を出せたことで、社内でもモデルケースとして取り上げられるようになりました。
でも、毎日帰りが遅かったので、いつも家にいなかったんです。次男が生まれた頃には海外出張が増えて、一度家を出たら3週間は戻ってこないという……。妻にはワンオペを強いる形になり、『この状態は誰も幸せじゃないな』と次第に気づき始めました」(元之さん)
同じ頃、雄一さんは作れる範囲内で固形洗剤を販売し続けていたが、自分の代で事業を終わらせようとしていた。「全国各地の愛用者から求められている製品を、父の代で終わらせてしまうのはもったいない」と感じた元之さんは、「家族のそばで父の仕事を手伝おう」と家業に入ることを決心。入社後に任されたのが、創業者である父が開発した食器用固形洗剤の営業だった。
前職での経験から、「自分なら取引先を拡大できる」と自信を持っていた。ところが、すぐに現実に打ちのめされることになる。
「電話しても、まずアポイントが取れないんですよ。前職時代は買うかどうかは別にしても、必ずアポイントは取れたんですけどね。『大きな看板が外れたからだ。自分には何もないんだ』と、頭をガーンと殴られた感じがしました」(元之さん)
ならばと飛び込み営業を始め、飲食店・薬局・血液センターなど、「洗う」という工程があるところならどこにでも訪問した。「使えば良さをわかってもらえる」と信じ、営業先では必ずサンプルを渡した。
「毎日サンプルを配っていたら、父から『配りすぎだ。使い切る前に回収してこい』と怒られたこともありましたね(笑)」(元之さん)
10軒訪ねたら3軒買ってくれることもあったそうだが、ときには1つも契約が取れない日もあった。それでも、毎日エリアを決めてローラー作戦を行い、ひと月で50軒ほどの飛び込み営業を続けた。
こうした地道な営業活動で、少しずつ取引先が増えていった。けれど、取次店に「値段を下げてほしい」と圧力をかけられたり、信頼していたパートナーに裏切られたりと、一歩前進するたびに横から水を差されるような日々が続いた。
このとき奮闘していたのは、元之さんだけではなかった。子育てのかたわら、妻・晴美さんも家業を手伝うようになっていた。
