2009年のマイケルの死の前後、父子の関係は…

 父への怒りのあまり部屋で叫びだすこともあったというマイケルだが、40代になったころ「父を許す」宣言をしている。

 2001年、世界の子どもたちを支援する慈善家として大学でスピーチした際、自身も親になったことでジョーの気持ちがわかったと明かしたのだ。人種隔離法と大不況のもと貧しい黒人男性として育った父は、やさしい感情表現が命取りになる過酷な世界を生きてきた。だからこそ、子どもたちを「屈辱の人生」から救いたい一心だったのだと。

「今は、父の厳しさすら、ひとつの愛だったのだと思い始めています。もちろん不完全な愛でしたが、それでも愛だった」。幼少期を破壊されてしまった当事者として、悲しい虐待の連鎖を止めるよう訴えかけた。

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 2003年、マイケルが親しかった子どもに対する虐待疑惑で逮捕されると、法廷で妻と息子を支えるジョーの姿も目撃された(罪状については無罪判決)。

2005年3月7日、カリフォルニア州サンタマリアの高等裁判所で行われた裁判の審理後、支持者たちに手を振るジョーとマイケル ©getty

 ただし、晩年のマイケルは、父が邸宅までやってきても追い返していたという。

 2009年、マイケルが医師による薬物過剰投与で50歳で急逝すると、遺産は家族信託を通じて母と子どもたちに残された。母・キャサリンに次ぐ子どもたちの予備の後見人は、マイケルが子ども時代から慕っていた先輩歌手のダイアナ・ロス。遺言から外されていたジョーは遺産を求めて訴えたが、認められなかった。

 キャサリンといえば、不倫した夫に何度か離婚を申請していたが、結局は別居にとどまった。

 野心家のジョーは、晩年になっても「汚い言葉づかいをしないラッパー」発掘企画などにチャレンジしていった。2012年頃には、ショッピングモールでマイケル風のイメージを無断使用した香水「ジャクソン伝説」を売りさばく姿を目撃されている。

 それでも、ジョー・ジャクソンは「最後まで王」として君臨していた。報道によると、キャサリンから仕送りをもらいながら、すっかり大成した末娘のジャネットに買ってもらった豪邸で暮らしていた。マイク・タイソンやフロイド・メイウェザーといった大物も彼を敬ったと言われている。

 2018年に癌で亡くなった際には、三男ジャーメインやジャネットに看取られた。享年89歳。「世界一有名な大家族」の長として、孫の数は20人以上におよぶ。

 死ぬまで子育てについて後悔することはなかった。同時に、世間が「キング・オブ・ポップ」を崇めようと侮辱しようと、心やさしい息子だという持論を譲ることもなかった。「マイケルは、いわゆる良い子だったんだ。そういう子だったからこそ、あれほどまでの存在になれたんだ」。

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