1990年ごろまで、東北と九州の出生率はさほど変わらなかった。しかしその後、徐々に両者の差は開いていった。全国的には、出生率は2005年にいったん底をつき、その後徐々に回復、2015年以降はまた低下という推移をたどっている(図6-5)。

 

 2005年以降の回復は特に九州で著しかった一方、東北は伸び悩み、2015年以降には全国平均よりもさらに激しい下降に見舞われることとなった。この時期の東北というとどうしても東日本大震災が頭をよぎるが、震災以前にはすでに差が開きはじめていることを考えると、それ以外の要因を考えねばなるまい。

 以上、この100年ほどの出生率の推移を概観した。東北と九州の逆転現象は、大きく二つの契機によって生じたと言える。一つは、戦中から戦後にかけての東北の急激な出生率低下、もう一つは、2005年以降の九州の相対的上昇である。この二つの事象は起こった時期が大きく離れており、当然その要因もそれぞれ異なると考えられる。

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なぜ戦前の東北は出生率が高かったか

 一つ目の要因から考えてみよう。なぜ、東北の出生率は戦後に大きく低下したのだろうか。これを考えるためには、まず戦前に東北の出生率が高かった理由から説明する必要がある。

 一般的に、農村は都市と比べると出生率は高くなる。子供が農業労働力として重宝されるためだ。また、家の跡取りとして男子を求めたり、不幸で跡取りが途絶えたときのために多くの子供を求めたりすることも関係している。これは日本に限らず、世界で広く見られる現象である。日本のなかでは都市化が遅かった東北もまた、明治から高度成長期まで長らく高出生率地域となっていた。

 ただし、江戸時代の東北はむしろ出生率が低かったことも付け加えておきたい。頻繁に飢饉に見舞われていた近世東北の農村は、多くの子供を養う余裕がなく、子作りを控えるか、できたとしても「口減らし」のために殺してしまうこともあった。

 近代になると、東北の農村では多くの子供が生まれるようになった。これは一つには食糧生産が安定したためであり、またもう一つの理由として、村で抱えきれない余剰労働力を都市へ送り出すことが可能になったことも大きい。出稼ぎは江戸時代からすでに行われていたが、近代以降の都市における工業の発達は、それ以前とは比べ物にならない人口移動をもたらした。また、北海道に行き、ニシン漁業や炭坑労働に従事する者も多かった。