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人口政策の二つの目的
一つは、無理な出産や堕胎から母体を保護するという個人レベルでの目的である。もう一つはよりマクロなもので、人口を抑制することによって、食糧や資源の不足を避けようという目的である。
戦後日本の人口抑制政策には、GHQの強い関与があったという。過剰な人口増加が起こったことが、日本の海外侵略をもたらしたのではないか。このような考えから、産児制限が行われたとする指摘もある。
家族計画運動は全国的に行われた運動である。しかし、その影響には地域差があったのではないか。母体の保護が目的であるならば、産児制限は女性が多くの子供を産む(あるいは産まざるを得ない)地域、すなわち出生率の高い地域でこそ必要となるはずだ。
家族計画運動が行われた1950年代の出生率変化を見てみよう(図6-7)。1950年と1960年を比べると、もともとの出生率がより高い県ほど低下幅も大きく、もとが小さい県では低下幅は小さくなっていることが分かる。
つまり、家族計画運動によって出生率は平準化の方向に向かったのだ。戦後に東北と九州の出生率が同水準になったのは、このような社会的状況から説明することができるだろう。
