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現金1万8千円(現在の貨幣価値で約72万円)と101着の衣類を奪ったうえ、家に火をつけ逃走する。が、前記したようにその姿を近隣住民に見られたことで逮捕。
ケチで知られたカネが札に1枚1枚番号を振っていたのが決め手となった。ちなみに、福松は事件の3日後、急速に体調を悪化させ亡くなった。
判決は死刑だが⋯
素直に自供する宏子の犯行動機と境遇を聞き、飾磨地区警察署の捜査員も同情的だった。しかし、強盗、殺人、放火の罪で起訴された宏子に、1949年12月26日、神戸地裁姫路支部が下した判決は死刑。この際、宏子は残された娘の名前を何度も叫び傍聴人の涙を誘ったという。
1950年9月4日、大阪高裁は控訴を棄却し一審の死刑判決を支持。
最高裁も1951年7月10日に上告を退け、刑が確定する。女性の確定死刑囚は戦後初のことだった。
大阪拘置所に送致された宏子は浄土真宗の門徒となり、子供を思う俳句を詠んだりするなど模範囚として過ごしていたが、収監から3年後の1953年ごろより裸で水を浴びたり、電気が飛んでくるなど意味不明な言葉を発するようになる。