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同情すべき点がある
長年の勾留生活、死刑への恐怖により発症する拘禁反応、それがもたらす異常行動だった。このことにより一時死刑執行が停止になるとともに、宏子の恩赦を求める世間の声が高まっていく。
当時の法務省も病の悪化や、真摯に反省している点、犯行に汲むべき事情があることなどから恩赦の検討に入るが、遺族の懲罰感情は収まっておらず、宏子を決して許すことはなかった。
1969年、当時の法務大臣である西郷吉之助(1906-1997)の指示により、中央更生保護審査会が恩赦の再検討を行った。同会は改めて動機に同情すべき点があることや病状などを鑑みて恩赦を決定。
同年9月2日、宏子は無期懲役に減刑となり、八王子医療刑務所に移送される。ただ、恩赦を知らされてもすでに拘禁反応を悪化させていた宏子が、それを理解することはなかった。
宏子は2年半を同刑務所で過ごし、1972年に和歌山刑務所に移送。
