――どういうことですか。

村田 毎月おからの日があったんです。月末は財布が空になるからおからを食べるっていう習わしがあるんです。京都の文化なのか、おばあちゃん文化なのか。

――大女将はお嫁さんですか?

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村田 一応お嫁さんなんですけど、中心になって、「わたしが」ってやってはりました。強い人やと思います。祖父が料理人をしてたんですけど、私が小学校に入るくらいのときは病気で家にいることのほうが多かったので。

自分にとっては厳しい父だった

――村田さんにとって、お父さまはどういう存在ですか?

村田 そうですねえ、いまは息子のためにいろいろ考えてくれるおじいちゃんではありますけど、思春期のときとか、それこそ結婚するまでは、仕事をがんばっていたのでほとんど家にいなかった印象があります。家にいても疲れているので、寝ていたり。

――いっしょに遊んだりは?

村田 あんまりなかったです。レストランに出かけた記憶のほうが多いくらい。それが遊びのかわりではあったのかなと思うんですけど、飲食関係のお付き合いもあったのかなと想像しますが、そういう場に連れていってくれたこともありました。

――優しいお父さんという感じでしたか。

村田 うーん、優しくは、ないかな。わかりやすい優しさを表現できないタイプ。ちょっと古いタイプの亭主関白で、母も父の言うとおりにしますみたいな夫婦なので。それこそ小さいときは、お母さんにきつく言うお父さんはひどいみたいな感じで思ってたんですけど、ふたりの関係性で上手いこといってたんやなって。

 お行儀には厳しかったので、子ども心には厳しいお父さんでした。一緒に遊んでいるときはおもしろいんですけど、普段の生活の時間がね、やっぱり夜が遅いので、朝も遅くなってしまう。夫もそうですけど、小学生の息子が寝ている時間に帰ってきて、朝起きたらまだ寝てる。私たちの父もそうだったしなという感じです。

――同じだなと。

村田 なんとかしたいなって思うんですけどね。寂しい気持ちもね、(子どものころ)私はやっぱりあったので。

家からちょっとでも離れるために、海外留学へ

――「跡を継ぐ」ために長いお見合い期間を経て、大学の同級生の知晴さんとご結婚された村田さんですが、進学先は家業を継ぐために選ばれたのでしょうか。

村田 ぜんぜんです。むしろ家からちょっとでも離れるために、海外に交換留学に行ける大学を選んだんです、私は。

©志水隆/文藝春秋

――ちょっとでも離れるために。ご両親や大女将には反対されませんでしたか?

村田 個人で留学に行きたいと言ったら反対されるので、大学を休学せずに単位をもらえて、絶対(家に)帰ってくるというかたちに。

――海外に出たら帰ってこないかもしれないと?

村田 納得してもらうための方法はこれしかないと、高校生なりに考えて。外の景色を見てみたいっていう欲が、強かったんですねえ。