――最新刊『革命前夜』(2015年刊/文藝春秋)を読んで「これはすごい」と思ったのですが、実際に大変評判になっていますね。須賀さんは少女小説のご出身なので女性読者が多いですが、これは男性読者からの反応も大きいそうですね。
須賀 そう聞いて、自分でも驚きです。
――1989年の昭和が終わった日、日本人青年の眞山柊史が東ドイツ、ドレスデンの音楽大学にピアノ留学のためにやってくる。1989年といえば11月にベルリンの壁が崩壊した年です。その“革命”にいたるまでの音大生たちの青春が、不穏な社会を背景に描かれる。これまでも歴史エンターテインメントを発表されてきた須賀さんならではの作品です。
須賀 これまでは第二次大戦までしか書いてこなかったので、そろそろ現代ものを書いてみようと思いました。でも、いきなりリアルタイムの現代を書くのは私にとって難しかったので、第二次大戦と現代の間の時代を……と考えて、自分にとって一番印象的だった1989年を書くことにしました。自分の趣味全開で書いてしまったんですけれど(笑)。
――1989年が一番印象的だった理由は。
須賀 もともとドイツが非常に好きだったんですが、まさか自分が生きている間、20世紀のうちにベルリンの壁が崩壊して冷戦が終わるとは考えたことがなかったんです。1989年には6月に中国で天安門の事件もありましたが結局失敗していますし、東西の枠組みはそう簡単に崩れないように思っていました。それが、11月に一夜にして壁が崩れて。いえ、その時は「一夜にして」と思ったんですけれど、実際は一夜ではなく連綿と続く自由化への戦いがあったんですよね。そこにまた非常に感動しました。
――ドイツが東西に分かれていた時代。東側を舞台にしたのは、どうしてですか。
須賀 内側から書かないと、と思いました。それに、共産圏には非常に興味があって書きたい題材のひとつでした。東ドイツのシュタージ(国家保安省)というのはナチスのゲシュタポのノウハウを全部受けついで、それをさらに磨き上げた形のものなので興味がありましたし。
それと気になっていたのは、東ドイツは戦争責任を巧みに逃れているんです。西は連合軍によって戦争犯罪を追求され、迫害については謝罪もし、非ナチ化宣言もしましたけれど、東は、いやウチ全く関係ないしって完全に無視。東は共産圏に組み込まれてそのマイナス部分を背負うことと、脱ナチスを徹底することによって、逃れているんです。そこもちょっと書きたいなと思っていました。
ドレスデンにしたのは偶然で。東側に音楽留学の経験がある方に取材したのですが、その方の留学先がドレスデンの音楽大学だったんです。
――東の社会のマイナス面を強調するのではなく、西側に移住した老婦人が生活の苦しさを訴えて、実は東側のほうが福祉はしっかりしていたことも分かるように書いている。そのあたりはとてもフェアだなと思いました。
須賀 ありがとうございます。そこは今も問題になっていますし、女性の社会進出についても東のほうがずっと進んでいましたよね。社会主義のシステム自体は思想としては素晴らしく優れたところもたくさんあったわけですから、全否定するわけにはいかない。自分が東側で暮らしてみたいとは思いませんが。やっぱりあのトイレットペーパーはねぇ(笑)。