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卒論はナチスの武装SS

 

――そんななか、高校生だった1989年、ベルリンの壁が崩壊したわけですね。

須賀 そうです。壁が崩れた日は学校を休んでニュースを見ていました。次の日学校へ行ったら、担任もまわりの友達もみんな、なんで休んだか分かっていたっていう(笑)。「よかったね」って言われました。図書館でだれも借りないような歴史本とか喜んで借りてて、なんだか優しい目で見られていました。担任もちょうど社会科の先生だったので、「お、ナチスに興味があるのか?」と言って、いろいろ教えてくださって。

 高校生の時にベルリンの崩壊がなかったら、大学で史学科に行くこともなかったと思います。とくに将来の希望もなかったし、就職のことを考えて学科を選ぶように親にも言われていましたから。でも、ベルリンの壁の崩壊を目の当たりにして「いや、やっぱり歴史だよ」と、一人で盛り上がっていました。

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――卒論はナチスの親衛隊、武装SSだったそうですね。ナチスを選ぶのは分かりますが、なぜSSだったのですか。

須賀 SSってナチスのもっともコアな部分というか、イデオロギーの危険なところばかりを集めて成り立っているのに、実際の部隊は戦争後半にはアジア人がいたりして「あのトンデモ人種論はどこにいったの?」という状態で、そういう人たちがみんなボロボロになりながらも、必死に戦っていたわけです。イデオロギーというものが現実の前にどんどん変わっていくというか、後付けを重ねて膨張して最終的には全く別のものになって崩壊するのが、なんだかたまらなかったんですよね。すごくドイツっぽいなと思いました。

――ドイツっぽいというのは? 国民性のことですか。 

須賀 そうですね。ドイツってロマンチシズムと合理性がどちらもすごく強くて、それが縒り合わさっているんですよね。ロマンがあって、それをきっちり理論で固めていく。それを実際に高いレベルで実現していくんだけれども、どっちかが綻ぶと一気に瓦解していく。真ん中にあるのはロマンなんだなとつくづく思うんです。だから最後にものすごい折れかたをしてしまう。それは日本にも多少通じるところがありますが、ドイツの場合、極端だなと感じるんです。

(2)に続く