クマは唸ると、今度は寅蔵のほうに向かって走ってきた。寅蔵は引き金を引いたが、あわてたため当たらなかった。そして、今にもクマが寅蔵に飛びかかろうとしたとき、与一が威嚇射撃をした。するとクマは急に方向を転換して、あっという間に斜面を下りていった。寅蔵も与一もすぐにクマのあとを追いかけたが、すでに見えなくなっていた。クマが歩いたところに血が点々と落ちていた。

「危ないところだった。助かったよ。申しわけない」

 寅蔵が礼をいった。

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「いやいや、木が邪魔をして、よく見えなかったので威嚇することしかできなかった。こちらこそ申しわけない」

 与一は謝った。

 結局、その日は、「今日は山の神様の機嫌が悪そうだ」ということになり、早々に猟をやめて家に帰ることにした。

マタギの家まで仕返しに来たクマ

 その日の夜のことである。寅蔵が家で一杯飲んでそろそろ寝ようと思っていると、奥さんが「なんだか家の周りを誰かが歩いているような気がする、泥棒じゃないだろうね」といって気味悪そうな顔をした。耳を澄ますと、確かに誰かが歩いているような音がする。しかも鼻息が荒い。寅蔵は「人間じゃない。クマだ」と叫んで、棒を持つと外へ飛び出した。あたりにはクマの匂いが漂っていた。しかし、その先は闇が広がっていて、何も見えなかった。

 寅蔵は家に戻り、懐中電灯を持って再び外に出ると、周辺を照らしてみた。確かに足跡があった。クマに間違いなかった。餌を探しに集落まで下りてきたのだろうか。

 しかし、今年はブナの実もよくなっていた。餌が不作の年のように、集落に下りて餌を漁る必要はないはずだ。どうしたのだろう。そう思いながら玄関に入ろうとすると、玄関の横に染みがついていた。懐中電灯で照らすと血だった。寅蔵は首を傾げたが、「まさか。撃たれたクマが仕返しに来たのではないだろうな」と思った。すぐにそんなことがあるわけがないと考え直したが、血の跡を見ると、もしかしたらと思うのだった。

 寅蔵は家のなかに入ると、奥さんに「クマがうろうろしている。鍵が閉まっているか調べてさっさと寝ろ」といった。そして、酒をグイと飲み干すと寝床に入った。

 しばらくすると、奥さんが「またクマが来ている」といって寅蔵を揺すった。寅蔵は起きようとしたが、寝入りばなのために体がしびれて動かなかった。横になったまま、「もしかしたら、ほんとうに仕返しをしに来たのかもしれない」と思うのだった。

 しかし、奥さんにはいわなかった。