亜大時代の90年ドラフト会議で、野茂と並ぶ史上最多タイの8球団が競合も、交渉権を獲得したロッテへの入団を拒否。社会人の松下電器(現パナソニック)を経て、92年のドラフトで、近鉄の1位指名を受けてプロ入りしている。

小池秀郎 ©文藝春秋

 5回終了時で0-7。ダイエーの一方的な試合展開だったが、近鉄は6回に3点を奪って反撃。ここでダイエーの勢いを封じ込めれば逆転も見えてくるような流れだったが、ここで水を差してしまったのが、小池の乱調だった。

 劣勢の試合を食い止める役割を期待されてのリリーフも、2イニングで4安打4四球5失点。追い上げた直後の6回に小池が踏ん張れなかったことが、敗戦の一因になったのは否定できない。

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「近鉄ってさ、門限があるようなチームじゃなかったじゃん」

 大事な場面で痛打され、落ち込んでいた小池を、こちらも68年生まれの、当時の中継ぎエース・佐野重樹(現・慈紀)とともに慰めようと、野茂は自らが9回完投、その年の初勝利を挙げた21日のダイエー戦を終えると小池に声をかけた。

 気の合う同級生3人で、博多の夜の街へと繰り出したのだ。

 ダイエー3連戦は、火、水、木。移動日なしで、金曜日はまず日生球場、土、日曜日は藤井寺球場でオリックスと3連戦。こういう日程の場合は、監督、コーチ、選手たちの多くが、金曜早朝の新幹線に乗って一度自宅に戻り、車に乗って日生にやって来るパターンで動く。

佐野慈紀 ©文藝春秋

 もちろん博多から直接、日生に入る選手たちもいる。日生での練習開始が午後2時頃で、それまでに球場入りすればいいから、朝はホテルでゆったりと過ごした後、新幹線に乗っても構わないのだ。

 だから、4月22日の金曜日は、早朝の新幹線に乗ろうと、複数のコーチたちが早々にホテルをチェックアウトしようとしていたのだという。

 間の悪いことに、そのタイミングで宿舎に戻って来たのが、野茂と小池だった。