その吉井は、1998年から5年間、メジャーでプレーし、通算32勝を挙げた。83年のドラフト2位指名で、和歌山の名門・箕島高から近鉄に入団した若かりし頃から「とにかく大リーガーになりたい、という気持ちしかなかった」
“すっとこどっこい”だった1年目
かねてからメジャーへの強い憧れも抱いていたというその吉井が、メジャーへの思いをより募らせることになった、ある“きっかけ”があった。
石本貴昭は兵庫・滝川高出身。吉井の3年先輩になる左腕は、近鉄の一時代を築いた不動のリリーバーだった。85年は70試合登板、19勝3敗7セーブで最高勝率のタイトルを獲得。86年には64試合、8勝3敗32セーブをマークし、2年連続で最優秀救援投手賞を獲得。近鉄を代表するストッパーは、86年の日米野球のメンバーに選出されていた。
吉井は当時3年目。1軍で通算4試合登板に過ぎない、名もない若手の一人だった。
その日米野球で、先輩の石本がメジャー打線に痛打された。3試合、5イニングを投げて3失点、防御率は5・40と、散々な結果に終わっている。
「自分の憧れの先輩が打たれてたんです。こりゃ、すごい世界があるんや、いつか、あそこで投げたい、って思ったんです。まだ1軍で、ほとんど投げたことのないその時に、そう思ったんです。
あれをきっかけに、自分でも野球にしっかり取り組むようになりました。実際、1年目なんか、記憶にないくらい成績が“すっとこどっこい”で、3年目とかでも、ストライクが1球も入らんのとちゃうか、というようなピッチャーだったんで」
いつかはきっと、メジャーのマウンドに立ってやる。
