「絶対無理やな、って思ってたんです。ホント、江夏(豊)さんみたいに、日本でまず引退してから挑戦するみたいな、ああいう形しかないだろうと。あの時は、そういう形しかなかったですよね?」

江夏豊 ©文藝春秋

 吉井が指摘したのは、1984年に西武を退団、いったん“日本球界での現役引退”を表明した江夏豊が、直後にメジャー挑戦をかけて、ミルウォーキー・ブリュワーズのスプリング・キャンプに参加した85年のケースだった。メジャー昇格こそならなかったが、36歳でのメジャー挑戦という江夏の心意気は、まだメジャーの世界が日本では馴染みのない時代でも大いに称えられ、注目を集めた。

 吉井が「ああいう形しか」と評したのは、つまり、日本で完全に「フリー」にならない限りは、アメリカでプレーすることなど不可能だろうという、ごく当然の認識でもあった。

ADVERTISEMENT

「(野茂のケースのような)あんな風に行こうとは思わなかった。非現実的というか考えもしなかった」

ホントに自分がFAの権利を取れたら“行ける”

 しかし、その手段はどうであれ、後輩はメジャーへの“道”を切り開いた。それは、自らの夢も現実に変わる可能性が出てきたということと、半ばイコールでもある。

 近鉄からヤクルトへ移籍した95年、吉井は10勝を挙げ、日本一にも貢献した。

「その時、1年間フルに規定投球回数(147回3分の1)を投げられて、FAまであと2年っていうのが分かったんです。だから、FAで行こうと。ホントに自分がFAの権利を取れたら“行ける”っていうのは思いました」

吉井と野茂 ©西山和明

 ヤクルトでの3年間を経て、97年オフにFA権を行使、元千葉ロッテ監督だったボビー・バレンタインが率いるニューヨーク・メッツへ入団する。

 吉井は、FA権を行使してメジャーへ移籍した初の日本人選手になった。

最初から記事を読む 「だったら、俺も落としてください」近鉄のエース・野茂英雄が首脳陣に激怒した日…鈴木啓示監督と“完全決裂”の決定打となった「朝帰り事件」

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。