イラク映画として史上初めてアカデミー賞国際長編映画賞のショートリストに選出され、カンヌ国際映画祭で新人監督賞(カメラ・ドール)、監督週間観客賞の2冠を果たした『大統領のケーキ』が公開される。1990年代、独裁政権下のイラクで、フセイン大統領は自身の誕生日を祝うケーキを作るよう、国内の各学校に命じていた。くじ引きにより9歳の少女ラミアはケーキ係に指名されるが、もし用意できなければ重い罰が待っていた。ケーキの材料を探して街を駆ける少女の冒険を瑞々しいタッチで描き出す秀作だ。公開を前にハサン・ハーディ監督にメール・インタビューを行った。(「週刊文春CINEMA2026夏号」に抜粋掲載したインタビューの完全版)

ハサン・ハーディ監督

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サダム政権下のイラクで育った子供時代

——この物語は監督ご自身の幼少期の体験がベースになっていると伺いました。なぜこうした子供の目線での映画を作ろうと思ったのでしょうか。

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 階段の下に隠れ、街から村へと逃げ、時計のアラームではなく空襲警報で目を覚ます。私の子供時代は、不幸にも恐怖と危険に満ちた瞬間ばかりでした。戦争中、危険が近づく前に察知できるよう、耳は鋭くなり、視力も発達します。そうした不快で過酷な経験のすべてが、何らかの形でこの映画制作のあらゆる側面に寄与しています。

 この映画は、サダム政権下のイラクで育った私の子供時代の記憶から着想を得ました。映画作家として、私は映画に込められたメッセージよりも、キャラクターや彼らの感情、物語、そして旅路について考えるようにしています。ラミアの目を通してこの物語を語ることに惹かれたのは、子供は大人と違い、偏見を持たず、フィルターを通さずに世界をありのままに見るからです。戦争や困難な社会・経済・政治危機のなかで育った私は、危機において女性と子供が真っ先に最も高い代償を払わされることを身をもって知っています。男性たちが戦場へ行くか、政治犯として投獄されるなか、イラクの女性と子供たちは、突然、家族を育て養うという重責を背負わされました。

映画『大統領のケーキ』

 劇中でも、ラミアの父親は一度も登場せず、彼に何が起きたのかも語られません。不在の理由は私には分かっていますが、1990年代の湿地帯に住む男性がなぜ幼い娘の人生から消えてしまったのか、その空白を埋める自由を観客に委ねたのです。私は自分の作品の中で、主張やメッセージを打ち出すことを避けるようにしています。それらは芸術から意味を奪い、空虚にしてしまうと感じるからです。芸術はメッセージではなく表現です。私は答えを与えたりメッセージを述べたりするのではなく、問いを投げかけることを目指しています。映画の中にある政治的要素は、独裁政権下の生活を描く際に出てくる、いわば副産物に過ぎません。