「明」と「暗」がきれいに分かれるから、ファン層についても当時は「聖子派」「明菜派」が、きれいに分かれた。
私はといえば、当時、それほどアイドルは聴いていなかったものの、どちらかといえば「聖子派」だった。
作詞家・松本隆を核として、松任谷由実や細野晴臣、大瀧詠一など、(広い意味での)はっぴいえんど/ティン・パン・アレー系人脈が、シングルの作家陣として、彼女の足元をがっちりと固めていたことも、そういう人脈のファンとして好感が持てた。
対して、中森明菜はデビュー当初、どちらかといえば、(当時の私とは異なる)いわゆる「ヤンキー」票を集めることでブレイクした。
しかし、その後、後述するように、都市に生きる女性の人生観・疲労感を体現する方向に転じてからは、女性層を中心により広い地盤を固め、松田聖子との二枚看板となっていく。
そう、2人の共通項は、当時の「アイドル」としては、男性票だけでなく、女性票の比率が高かったことである。
80年代後半、2人がアイドルという殻を完全に破った頃には「聖子派」「明菜派」ともに、男女比率はもう拮抗していたのではないか。あなたはどっち派でしたか?
陰鬱な時代を吹き飛ばしたアイドル・聖子
「70年代は陰鬱で、80年代は明朗」――と書けば、単純過ぎて粗雑な二項対立に聞こえるかもしれないが、当時リアルタイムで生きていた者として、「陰鬱→明朗」という時代の変化は、目の前で実際に、確実に起きた変化だった。
少し大げさにいえば、80年になった瞬間、モノクロームからパステル色の総天然色に、景色がガラッと変わった感覚があった。そして、そんな景色のど真ん中に、松田聖子がいた。
とにかくキュートで、カラフルで、ドライで、ソフィスティケートされていて、長髪の男女が四畳半で息を潜めているような、70年代の陰気な空気を吹き飛ばす存在として80年、それも「80年度」が始まる4月1日に『裸足の季節』でデビューする。
