レコード会社はCBSソニー。70年代に同社を背負った山口百恵は80年に引退。相前後して80年にデビュー、80年代のCBSソニーを背負った松田聖子。山口百恵から松田聖子への変化が、80年代への時代の変化そのものだった。

そんな鮮烈なデビューを支えたのは、何といっても松田聖子の爆発的な声だ。当時CBSソニーで、松田聖子のプロデューサーだった若松宗雄(わかまつむねお)は『NEWSポストセブン』(19年4月18日)のインタビューでこう語っている。

「きっかけはCBS・ソニーと集英社が主催したオーディションでした。各地区大会に出場した人のカセットテープを片っ端から聴いていたら、その中に桜田淳子の『気まぐれヴィーナス』を歌う聖子のテープがあった。聴いた瞬間、とんでもなくいい声に出会ったと思いました。彼女の伸びやかで透明感のある歌声には、聴く者の心を捉える感性があったんです」

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初期の人気を支えた「爆発的な声」

私自身としても、デビューからちょうど3カ月後となる7月1日に発売されたセカンドシングル『青い珊瑚礁(さんごしょう)』を初めて聴いたときの衝撃は忘れられない。

衝撃の源は、何といっても歌い出し《♪あゝ私の恋は》の「あゝ」だ。このパート、実は音程が非常に高い。オクターブ上の「A」の音。つまり「あゝ」は「Aアー」なのだ。

音程が高いにもかかわらず、抜群の声量で歌いきっていて、かつ声質も、金属的にキンキンした感じがなく、むしろ艶(つや)っぽく、そして野太い。抜群の声量については、この曲の作詞を担当した三浦徳子(みうらよしこ)のいい発言がある。

とにかく声量がありましたね。スタジオで彼女の歌を初めて聴いたとき、いくらでも声が出るんで驚きました。マイクなんかいらないくらいで、今現在の声とは全く違っていたんじゃないでしょうか(『月刊カドカワ』95年7月号)

その後、初期のような爆発的な声は(おそらく目の回るような忙しさからの疲労の結果)失われるものの、松本隆というパートナーに恵まれ、また先述のように、松本隆を中心とする充実した人脈にも恵まれ、いわば「護送船団方式」とでもいうべき安定的体制の中で、自らの音楽世界を広げていく。